【思考実験】日本農業が大再編される未来はあるのか?
日本の農業総産出額は、近年8兆円規模で推移しており、今後減少が見込まれるものの、国内において大きな市場を形成している。
日本の農業は、小規模な自営農家が大多数を占める産業構造をしており、企業的経営が主体である他業種に比べて異質である。
企業による農業参入も近年増加しているが、気象条件に大きく左右される収益性や集約された農地確保の問題等、企業型経営が優位に働かない要因も多く、撤退する事例も多い。
今後、企業の農業参入が本格化する社会条件が整い、大企業主体の農業経営が当たり前となった場合、どのような変化が起こるのかを考察してみたい。
1.生産・流通・小売を一貫して行えるという優位性は本当に通用するか?
農作物の価格は、主に市場における需給バランスで決まる。豊作で市場に商品が溢れれば値は下がり、不作だとその逆となる。
国内における農作物の消費量に大きな変動はないので、需給バランスをコントロールするには、作付け量を需要に合わせて増減させる必要がある。
小売店を全国展開する企業が、直営農場で栽培した野菜を自身の店舗で販売する。
これならば需給バランスに合わせた生産販売ができ、価格も安定させられる…というわけではなく、それ以外の農地での生産量をも制御できなければ、結局は市場価格が低下し、それに引きずられるように自社店舗での商品価格も下げざるを得なくなる。
キャベツ一玉を200円で売りたくとも、市場調達したキャベツが競合するスーパー等で100円で売られていれば、同様の値段にせねば消費者はそちらに流れ、売れ残りリスクが発生し、それがそのまま損失になるというわけだ。
企業経営による生産・流通・小売の一元化は、市場シェアの大部分を獲得できていなければ優位に働かない。
つまり、数社の大企業で農作物生産の大部分を占有し、生産量をコントロールし、価格を高値維持できるようにならなければ意味がない。
2.放棄される農地と淘汰される自営農家
かつて、どこのまちにもあった商店街の個人商店が、スーパーやコンビニ等の新興小売店によって駆逐されたようなことが、農業の世界でも起こりうるのか。
あるいは、そうなることが日本の農業の未来にとって有益なのか、あるいは有害なのか。
この議論はさておき、このような大企業による農業の大再編は、戦後の農地改革以上の大変革となることは間違いない。
当然、採算性に乏しい中山間地等の農地は放棄され、大半の自営農家が廃業を迫られることになる。
昔ながらの農村は、過去の遺物として時代の波に消えることになるだろう。
3.再編後の新しい農業
多くの痛みを伴う大変革ではあるが、大企業によって経営される農業には、それまでにないメリットが生まれるだろう。
先に書いた需給バランスコントロールによる価格の安定と収益性の向上に加え、自営ではなく雇用という形態を取ることで、耕作者の身分も安定する。
収入や社会保障等の待遇が安定すれば、以前のような3Kワークとしての労働環境は改善され、より優秀な人材を集めることできる。
労働資源の活用や配分も柔軟に行えるようになり、新規就農希望者の育成やアルバイトの雇用、身体能力低下による生産現場から他の部署移動などの人事異動もスムーズとなる。
さらに、栽培法の一元管理による環境に配慮した生産体制の確立や、特殊栽培による高付加価値商品の開発も可能となり、資材を一括購入することで経営費も削減することができる。
現代の日本の農業は、後継者不足や自給率の低下、環境問題等、さまざまな課題に直面しているが、企業主体の農業経営は、これら問題を解決する可能性を秘めているというわけだ。
4.自営的農家の生存の道
外食産業は、水平展開、つまりフランチャイズやチェーン店による全国展開が主流だが、一方で、個人経営の店舗が完全に消滅したわけではない。
企業経営の店舗とは一線を画し、名店として繁盛している個人経営の店舗は多数存在する。
同様に、農業が仮に大企業による独占状態となったとしても、自営的農家として存続することは不可能ではないはずだ。
「自然栽培によって作られた農作物」などは一定のニーズがあり、企業が再現不可能な領域であるがゆえに、熟練した農家が生き残る一つの道となるだろう。
ただし、消費者のニーズに応えられるほどのレベルとなると、相当高度な水準を要求されるはずであり、生き残るのは容易なことではないはずだ。
以上は、完全な「想定」であり、実際、このような社会変化が訪れるかどうかは未知数だ。
ただ、このような未来がありうると想像しつつ、現在の自身の営農方法を見直すのは有意義なことだろう。
「大企業による圧倒的な経営合理性を前に、それに勝る農業を自分はできているのだろうか?」
そう問い続けることの中に、未来への答えがあるはずだ。