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抱きしめてパワー!

事務手続きの入れ違いで以前住んでいたアパート近くの郵便局に出向かなくてはいけなくて40分ほど自転車を走らせた。電車で行ってもバスを使っても乗り換えが数回発生する上なぜか同じくらいの時間がかかるので自転車のほうが手っ取り早くて良い。結局1年ほどしか住まなかったけれど、どことなくほっとするような空気が漂う町で随分気に入っていた。住んでいた部屋は窓辺にベッドを置いていて、秋の初めなどは網戸越しに月を眺めることができた。帰りがけ、その建物の前を通ってみると窓越しに洗剤の容器がぼんやりと見えた。今は誰かが住んでいるらしい。ちょっとソラニンを口ずさんでみる。
結局よくよく話を聞いてみると当時の住所が記載された書類が必要とのことで無駄足になってしまった。おまけに今住んでいる家の最寄りの郵便局で良かったのだそう。いや、本当のことを言うとその書類は必要なんじゃないかなとも思ったし最寄りの郵便局でいいのかもとも思った。けれど自分の思考に気づかないふりをした。理由をつけて好きな町に出向きたかった。思いがけないところで絵の題材が見つかったりするから。インターネットのきれいな誰かの写真じゃない、自分がみつけたものを描きたい。随分と時間を無駄にしてしまったけれど、無駄の正体は豊かさなんだろうな。お気に入りだったラーメン屋さんで遅いお昼ご飯を食べて、再びペダルに足をかけた。


町田洋先生の「砂の都」を読んだ。読後感は「夜とコンクリート」や「惑星9の休日」よりずっと軽やかだった。こういうとき気に入ったコマとかを引用というていで紹介したいけれど無断転載になっちゃうのかな。引用に関しては日本はとても厳しいらしい。難しいね。
"人は生きる墓標だ 同じ人間が常に死に続ける"
この言葉が読めただけで800円出してお釣りが来る。それくらい良い。細胞は日々入れ替わっていくテセウスの船で、かつての僕はもう居ないし、生きているみんな変わり続けている。変わらないでいることは変わり続けているということ。やっぱり好きだなぁ。

何かにハマって一心不乱に作品にのめり込んでいるひとがとてもすきだ。自分もそうなりたいとつくづく思うもののオタクとしても在り方が分析する側になってしまっているのでいつもどこかで線を引いて一歩下がって眺めてしまう。もっと熱くなれよ、俺。絵もそうで、大好きな作品はたくさんあるけれど二次創作をしようというところまで辿り着かない。辿り着けないというほうが正しい。自分では無心で描き散らしてみたいという憧れがある。けれど欲求が無いので手が動かない。これはとても悲しい…。突き詰めると「楽しめること」が何においても1番の才能なんじゃないかと最近はよく考える。楽しくて楽しくてたまらないひとは無敵だ。なんだって突破できるんだろう。少し羨ましい。
来年はにじそうさく(にじさんにオンリー)に出たいなぁと考えながらそういう前のめりさをすっかり失っていることにじめっとした気持ちになる。昔は初音ミクとか描いてなかったっけ…?まあでも成長すると描きたいものって変わるよね。そのとき瞬間でやりたいと思ったことをちゃんと抱きしめてパワー!という感じで絵を描きたいなと思うこの頃です。抱きしめてパワー!

それではまた。

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