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お久しぶりの日記。

最近のことをいくつか。
個展以降個人制作が出来ていなくて、けれど絵そのものは結構描いている。スケッチやお仕事やラフを描き溜めてみたり。よぼよぼのじーちゃんになっても描き続けられる絵柄ってどんなんだろうなと最近はよく考える。
死ぬまでイラストレーターでいるというのが目標なのだけれど、すると作品が普遍性を帯びることが必要な条件なのかなと思ったり。普遍性と自分の持つストーリーの間で1番丁度良いところをひたすら手探りしていく感覚が続いていて、毎日新しい発見がある。寿命が足りないな。結果としてご依頼をいただいて制作するイラストもかなり良くなって来たんじゃないだろうか。
最近はおだやかに毎日が楽しくて、あまり先のことばかり考えていても良くないのかもなと思ったりもする。何事もバランスが大切で結論を出さない苦しさを抱え続けることが誠実さの正体なのかもしれない。そんなことを思う。

家の前に簡単な漢字なのに読み方がわからないバス停があり、そこから多少賑わった街へ出られることを最近になって知った。いかんせん地元には手近なところにバス停が無かったので30余年生きてきて生活の中にバスのバの字も無かった。バスの乗り方ってみんなどこで習うの?電車より複雑じゃない?
コンタクトレンズを新調しようとバスに乗ったら知らない駅で下ろされて隣のバスに乗ったら家の前まで帰ってきてしまった。そのまま乗っていたらなんとか着いたけれどその頃にはなぜか2時間経過していた。自転車で20分の距離なのに。
図らずも家の近所をバスでうろうろする一日になってしまったけれど、何もしないということは贅沢なことだし、バスに揺られて眺める夕方の景色はとてもきれいだった。まあそういう日があってもいいよね。無駄を許容して受け入れた空白から得られるものもきっとあるし、そういうゆとりを愛していたいと思う。
コンタクトの購入はなんと3年ぶりだった。本当にひとに会っていなかったんだな。ところでゆとりって言葉、最近聞かなくなったよね。

自粛となっていたここ数年、Discordなどで数人の友人と絵や仕事、あれやこれやについてさんざん議論する時間が得られたことは得難い経験だったと思う。大学を出てしまえば他者と"さんざん"と形容するほど雑談をする機会もそうそう無くなっていく。流行り病によって失ったものは確かにあったし、その代わりに得られたものも確かにあった。
ご飯行きましょうねと約束した各位、ごはん、行きましょうね。僕も誘うし…誘ってください。フットワークは軽い方です。たぶん。

見てなかったコナンの映画を暇を見つけてはごはん時に眺めている。特にここ最近の作品はコナンを取り巻く状況が今どうなっているのかをテンポよく説明しつつ各キャラクターにスポットを当て、お約束をクリアしながら上質なエンタメに仕上げていてとんでもない力量を持った方々が制作に携わっていることが如実に伝わってくる。最新の哀ちゃんの映画、見ましたか?最高だったよね。
最近ひとの漫画制作、シナリオ制作を間近で見る機会があって、それによってあまり面白くなかった回の映画を分析する面白さを知ったことがとても大きな経験だった。あのシーンはもっと手短で良かったのではないか?いや、あそこはオチの意味を強めるために必要なシーンだった。そんなことを話すのはとても楽しい。
意見の否定は人格の否定ではないことが共有できている相手とそんなことを延々話すのはどんなエンタメよりも有意義なのかもしれない。
ちなみにコナン映画で1番好きなのは「世紀末の魔術師」です。
ロマンチックで良いよね。

それではまた。

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