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念願のエンジニア転職を成し遂げたら5年ぶり2度目の心療内科通いになった件

2021年5月27日より人生2度目の心療内科通いとなり、せっかくなので今まさに療養中の記録として残しておこうと思います。
なお、個人の感想であり、長いのでだいぶ端折りながら書いている点はご了承ください。

うつ病も多種多様

ちょうどこの記事を書いているタイミングで、某女優が適応障害のため休養を宣言したり、某アスリートがうつ病を理由に大会を棄権するなど、メンタル的な不調の話題が立て続けに流れました。その流れに乗った訳ではありませんが、私も人生二度目の心療内科通いを始めました。

特にうつ病というと、心の弱い人がなるイメージがまだまだ強いかと思いますが、とにかく強いストレスを受け続けることが大きな要因です。
そのストレスが人によって異なり、期待に応えなければならない、責任を取らなければならない、私の代わりはいないから長時間働く必要がある、非常に嫌いなやつがいる、納得いかないことがある、寝る時間がない、お金がない、社会に出るのが怖い、人ができることができないのが辛い、誰にも好かれない、やりたいことができない、大切な人を失った、傷つけられたなどなど。地位の高低、収入の高低に関わらず、その人にはその人の地獄があります。

今回は私が7年ほど前にうつ病となり、その後どのような経緯で再度心療内科に通うことになったのか、治療・療養とは何をするのかを書きましたので、参考にしていただければと思います。

ただ先に書いておくと、人によって治療方法も異なりますので、もし治療が必要かもしれないと感じたら、通いやすい心療内科を探して予約し、医師の指示に従ってください。

まず新卒で入った会社でうつ病になるわけで

新卒で札幌にある某大手IT企業の子会社に就職しましたが、いきなり炎上しているプロジェクトに配属され、3年目には(記録に残っている中で)社内で一番残業しているやつになっていました。だいたい過労死ラインくらい。

ちょうど自分が入社した頃にリリースされたパッケージソフトの品質が壊滅的だったこともあり、当時は若く、言われるがままにバグの修正をひたすらこなしていました。「21時に帰れば早い方、基本終電、忙しい時(?)は3時頃タクシーで帰宅」のような生活をしていました。

こんな生活を3年も継続していればそら病みますわ。ただでさえ少ない睡眠時間に加え、PLもPMも特にこの状況を改善する気もなく、自己防衛のために早めに帰ろうとすると文句を言われ帰りづらいし、帰りたいので早めにタスクを完了させても定時後だろうとさらに詰め込まれるので追い討ちで相当なストレスがかかります。金曜の定時後に休出を言い渡される時もありました。金曜の夜に「明日仕事になったから逢えないわ・・・」と何度彼女へ電話したことか。

この頃の生活はというと、
・朝ごはん:コンビニアイスコーヒーとレッドブルとカロリーメイト
・昼ごはん:コンビニアイスコーヒーとサンドイッチとからあげくん
・夜ごはん:コンビニアイスコーヒーとコンビニ弁当とレッドブル
・日付超えたあたりで家帰ってから何かしら食う
あと気絶するくらい眠いのでブラックブラックとかフリスクの黒いのとかミンティアの黒いのとかを常に口に入れていたけど、明らかに人体に悪影響を及ぼすのでお勧めしません。エナジードリンクは二度と摂取しない(決意)

そんなこんなでだんだん夜も寝られなくなり、当然朝起きれなくなり、家もいわゆる汚部屋となっていき、生ゴミはなんとか捨てていましたが、プラとかペットボトルを入れた袋が溢れます。

また、朝起きれないということは勤怠がヤバいことになります。1社目は定時を1分でも遅れれば午前休を取得させられましたが、まずほぼ2年分溜まっていた有給をほぼ全て朝遅れた分に消化されます。80日弱くらい。1年の営業日がおおよそ240日くらいなので当然足りません。そして次の策として自主フレックスを導入して出社していました。

自主フレックス・・・「どうせ深夜まで残業するんだから朝こなくてもええやろ」の精神から生まれた新しい働き方です。ダメ人間すぎるし、会社側からの評価も地に落ちるためオススメしません。だったら定時に来て仕事が残ろうが定時に帰る方が評価は上です。真似してはいけない。
※こぼれ話としては、この部署は遅くまで残業当たり前だったため、フレックス制度を導入したら朝誰も来なくなったので廃止になった過去があったりする

記憶力もだいぶ低下していました。電話の取り次ぎができないとか、バグを追っている時に一つ前でやってた処理なんだっけみたいな感じで仕様書を何往復もしたりしていました。
電話の取り次ぎもメモ取ればいいじゃん、と思うかもしれませんが、耳で聞いて頭で理解して書く命令を出す速度が致命的に落ちているので、「どこどこの誰々です、何々さんいますか」と言われたとすると、言い終わった時点で「どこどこ」をようやく脳が認識するイメージです。厳しい。

この辺りでようやく部長あたりもヤベェと思ったのか、急に隣の課に異動しますが、異動後も体調は戻らず、1年ちょいくらいはがんばったけど最終的には布団から起き上がることができなくなり、この時点でようやく医者にかかりうつ病と診断が下ったので、2014年6月より休職となりました。
まぁ総務部とかとごたごたごたごたしたのとかもあるけどそれは割愛します。

薬を飲んで寝るだけの療養期間

私の場合は以下の感じで治療が進みました。

・2週間に1回くらいの頻度で通院する
・心理士さんと30分〜1時間くらいお話しして最近の様子や困っていることへの対処などの相談をする
・医師と薬の効き具合の確認をして量や種類の調整をする
・あとは薬飲んで寝る

当時は不眠+抑うつ状態だったので、睡眠導入剤2種と抗うつ剤2種を服用していました。

療養初期はとにかく眠くてずっと寝てました。昼も夜もなくとにかく寝ていましたね。寝て起きてご飯食べて薬飲んでまた眠くなるので寝る。合間の時間はMH4でおまもり掘ってましたがそんなに長い時間できなかったです。

少し長い時間起きられるようになったら日中に散歩したりとか、近所の猫カフェに行ったりとか、休職前に通っていたジムに行ったりしていました。少しでも早く治ればと無理して活動していた感もあり、活動しては2、3日寝込むを繰り返していました。寝とけ。

1年9ヶ月療養したが復職できず退職する

会社の規約で3ヶ月+1年半の期間で復職できない場合は退職ということらしいので、2016年3月に問答無用で退職となりました。今思い出してもこの制度ひどくねぇ?

また、傷病手当金はでますが、税金は引かれ続けるのでマイナスの給与明細と振込用紙が届きます。傷病手当金より税金の方が高いので、傷病手当金が出るから休職しようと安易に考えてはいけません。可能であればそのもっと前の段階でそのような状況を回避してください。

もちろん次の会社なんて決まっていないし、このタイミングで心療内科通いは一旦辞めたけど、そもそもまだ社会復帰できるほど回復していない状態だったので、キツかったね・・・。なんの為に残業してまで対応したのかと恨みつらみが募るし、将来の不安は計り知れないし。

病まないでこの会社で働き続けた場合と今を比べると金銭だけでも1000万円以上損してると思うとマジキツい。あと休んでいた時期にできていたであろう経験ができなかったのもマジキツい。さらにその空白の期間分、金銭的に差が開くだろうと思うと人生マジしんどい。しんどいけど人生を続けないといけないので就職活動をしていくわけです。この時の上司と会社は許す気はない。

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