デブショー

会いたい人がいて、会いたいが会うことが出来ぬ。会えぬから、より会いたい気持ちが募り、いつか会えるときを心待ちにしている。

自分は昔からデブショーであった。肥満の出し物では無く、出不精。どこかへ行く気力がまるで無いのである。誰とも会わぬ、誰とも話さぬ、ひとりの一日などザラであった。今は店をやっているため人に会うことが出来るが、休みの日などは本当に誰にも会わない。夕方まで廃人の如く怠けて、出掛けるとしても、近所のサ店やスーパーやコンビニ、くらいしか行かない。一人旅など、以ての外である。

行きつけの店といえば、チェーンの牛丼屋くらいのもので、居心地もへったくれも無い。そんな自分であるから、本当に、自分で店をやっていて良かったと思う。なぜなら、店にいるだけで、誰かが外からやって来てくれるからだ。向こうからすれば、自分に会いに来たというよりも、店に来た、という感覚であろう。それでも自分は嬉しい。人と会って話をするだけで、その日一日が救われることもある。

さて、我が家の沢蟹も主人と同じくデブショーなようで、基本的に土管の下でじっと怠けている。おおい、かにくん、と呼び掛けても、滅多に出てくることは無い。土管の上に餌を置いておくと、次の日には食べた痕跡が残っていて、きっと夜中にこそこそ出て来て食べているのだろう。まるで引き篭もりの蟹である。お前も本当は誰かに会いたいのだろう。親蟹はどこにいる。友蟹は遠くで暮らしているのか。かにくん、きみは、孤独な沢蟹。出来る限りおれがそばにいよう。寂しいだろうが、ひとりぼっちを全うしてくれ。

何もいりません。舞台に来てください。