妄想の果て

生来むっつり助平の自分は、幼少の頃より、一日の大半は淫らなことを考えていた。決して顔には出さぬが、頭の中は桃色の妄想で溢れていて、脳髄が我慢汁で洪水していた。起床すればエロス、昼飯食えばエロス、街を行けばエロス、電車に乗ればエロス、人と会えばエロス、帰宅すればエロス、風呂に入ればエロス、就寝前にエロス、といった具合で、もしもエロスが処方箋だとすれば、一日八錠は処方していることになり、完全にエロスのオーバードーズ状態であった。

チェリーボーイ時代の自分は、小マシな女性と街ですれ違う度、瞬間的にその顔と服装を脳にインプットして、脳内で想像強姦を行っていた。書くことも憚られるほどの、汚らわしく、陰惨で、卑猥な、非人道的行為を想像しながら、鼻歌交じりに街を闊歩していたのである。その中から、より興奮度の高い妄想は一部始終が脳内録画されて、その日の晩のおかずとして脳内再放送されるのだった。それらはほぼ無意識の内に行われるため、自分としては、宇多田ヒカルの歌さながらに、イッツ・オートマティックなものであった。やがて、女性の顔が目に入ると、何よりもまず、相手の喘ぎ顔と苦悶顔が浮かぶようになってしまった。中学高校と男子校の自分は、唯一共学であった小学生時代の卒業アルバムを開いては、クラスの女子たちを名前順に一人ずつ、脳内強姦した。そのうち、レイプ・コンプリートを達成した。その他、テレビタレント、アイドル、女優、ポストチラシに載る名も無き女性、漫画キャラ、最終的にはノートに自筆の美少女を描いて、目に映る全ての女性を脳内強姦した。

勿論、そうした妄想癖は他人には悟られてはいけない。表面上は、鼻下など伸ばさずに、常に真顔を心掛けていた。そのため、女性と対面した際には至って人見知りで物静かな印象を与えていたようである。だが実際のところ、自分の脳内では、相手はぐじゅぐじゅに犯されていた。単に自分は妄想で必死のため、言葉数が少なかっただけなのである。

そんな自分であったが、やがて不細工な恋人が出来た。つまらない初体験を済ませて、しばらくして振られた。それは、恋では無かった。脱チェリーボーイとなった自分は、性行為、ならびに、女性というものに、ある種の失望を感じた。それまでは、聖母マリアが理想の女性だ、と言い張るカトリック校の学生だったのだが、実は、現実世界の女性は、ただのつまらない生き物に過ぎないということを、そのとき知ってしまったのである。以後、女性を前にしても、脳内強姦を行うことは、自然と無くなった。

そして今度は、脳内恋愛を行うようになった。つまり、ある種の理想恋愛を脳内シュミレーションし始めたのである。エロスよりも、ロマンティックを求めて、再び妄想の世界に身を投げた。小マシな女性を見ると、脳内デートに始まり、脳内告白、脳内接吻、脳内ベッドイン、と、一応順序を踏まえるようにはなったのだが、やはり最後はメス豚プレイなどに興じて、ぐじゅぐじゅになるのが常であった。

妄想の果てに、犯罪者になることも無く、今はきちんとした、立派な大人になることが出来た。現在は、そうした妄想は一切していないと、断言する。

何もいりません。舞台に来てください。