子供のまんま

ぼくたち、いつまでも子供のまんまでいよう。たとえ歳は取っても、いわゆる大人の常識や社会人としての心構えなんて、一生理解しないでおこう。日々の暮らしに怯えながら、無駄なことに時間を費やして、失敗ばかりしよう。正しいことと駄目なことの判別なんて、分からないままでいよう。それよりも、楽しいことや素敵なこと、面白いことやロマンチックなこと、変テコなことやエロいこと、愛することやふざけることに、全身全霊をかけてこのまま生き抜こう。

これは何も、ありきたりで上っ面の、ポジティブ・シンキングな啓蒙広告などでは無い。私の素直な本心である。かくいう私も、生活における己の愚かさに度々嫌悪感を抱くことがある。今日も新幹線で、寝起きの一服に行こうと勢いよく座席を立ち上がった拍子、上部の縁部分に思い切り頭をぶつけた。死ぬほど痛かった。くらくらとして、頭を触るとタンコブ、一体もう何度目だろう、この歳になっても未だ己の身長を理解していないのである。頭皮を触った指を見れば、ほんのりと血がついている。いくら舞台で漫才しようが、税金を払おうが、ふんぞりかえって偉そうに語ろうが、髪を伸ばそうが、格好つけて女の子を口説こうが、おれは所詮、新幹線で頭をぶつけて流血するような奴なんだ。お陰様で目が覚めましたわ。痛いし虚しいし、涙が出そうなのを堪えて、早く家に帰ってプリンが食べたい、と自分は思った。それから窓の外の富士を眺めながら、良い歳して…何がプリンだよ情けねえ…と落ち込んだのである。

そんなとき、最後にいつも思うのだ。子供のまんまでいよう。このまま儚く散ってやろう、と。それが前向きな思考かどうかは分からぬ。単なる逃避、甘え、自暴自棄に過ぎないのかもしれない。けれども、タンコブの痛みと引き換えに自分は美味しいプリンを食べることが出来た。それにタンコブなんてものはそのうち治る。治った頃にまた作れば良い。だから、もしも、きみが、仕事や勉強や日常で上手くいかず苦しんでいたとしても、落ち込む必要なんて無い。はなから、無理なんだから。いくら気取っても、所詮は子供なんだから。


何もいりません。舞台に来てください。