互田さん

駅のホームのキヨスクを通り際に、ちらりと見えた雑誌。その表紙グラビアを飾っていた女性。

一瞬目に入ったのみであったが、その可憐な姿に、自分は胸を撃ち抜かれた。おそらく若手女優か何かであろう。黒髪で、透き通った肌、童顔で、美しい瞳をしていた。清楚な、それでいて、何とも言えぬ憂いを帯びた表情であった。残念ながら、歩きついでにちらりと見ただけのために、覚えているのはその顔と「互田」という苗字のみで、下の名前も、また何の雑誌であったかも、分からない。

あの雑誌、買えば良かった。改札を出てから、急激に彼女への想いが強くなった自分は、ゴダさん、ゴダさん、と呟きながら歩いた。忘れないよう、彼女の名を脳に記憶したのである。そして、これは是非皆さんにもやって貰いたいのだが、誰かの名を延々と呟きながら歩くと、いつの間にかその人に惚れてしまう、という現象がある。実際自分は、既に互田さんに恋をしていた。一瞬見掛けただけの、雑誌の表紙の互田さんに、一目惚れをしたのである。ゴダ候(そうろう)!我慢の限界を越えた自分は、携帯を取り出した。

こういうときに便利なスマホ。私は現代人ですから、全てGoogleに頼ります。恋愛変質者気質の自分は、とりあえず互田さんのプロフィールや画像やブログや裏アカウントを総ざらいしようと思い、検索機能で「互田 雑誌 表紙」と調べた。が、それらしきものは何も出てこない。それどころか、「互田 女優」「互田 かわいい」「互田 グラビア」など、いくら調べても彼女に関する情報がちっとも出てこないのである。おかしい。いくら無名の若手女優とはいえ、少しくらいは何か載っているはず、そもそもが、ゴダなどという珍異な苗字の芸能人である…。まったくあれは幻だったのか。ぼくの白昼夢。と思ったが、そのようなファンタジーにするつもりは毛頭無い。恋とはリアルなものである。

もしかすると、自分はとんでも無い間違いを犯していたのかもしれぬ。つまり、点を見逃していたのである。彼女の名前は「互田」ではなく「瓦田」であったのだ。「ゴダ」さんではなく、「カワラダ」さん。真ん中の点があると無いではこうも違うかね。カワラダさんのカラダはカタワだ、と早口言葉も生み出したところで、再び検索を入れたが、瓦屋根のリフォーム業者や瓦割りの達人ばかりが出てきて、肝心の彼女についてはやはり何も出てこなかった。誰も知らない、ぼくだけのカワラダさん。その謎めいた素性が、より私の純朴なる恋心を震わせた。そして彼女への想いが募るその一方で、自分は無能なるGoogleを憎んだ。

しかし後から冷静になって、高性能なる利器と自分のちっぽけな前頭葉を比較した場合、どう考えても疑うべきは己の前頭葉、ということで、おそらく彼女はカワラダさんでもなく、別の名前である、という結論に至った。では一体、何さんだというのか。それを知る術は、この現代においても皆無であった。

それから二週間ほど、自分は苦痛と微熱に打ちひしがれるだけの日々を送っていた。しかし先日、呆気無く彼女の素性が判明した。そして全ての謎が解決したのである。

彼女は近所のコンビニに居た。居た、というか、別の雑誌で、またもや彼女が表紙を飾っているのを見つけたのである。それは確かにあのときキヨスクで見たのと同一人物で、思わず自分は、ア!と大きめの声を出した。雑誌を手に取り表紙に顔面を極限まで近付けて、眼鏡も無いのに眼鏡を動かすフリをした。自分の目に狂いは無く、やはりその姿は可憐であった。そして見惚れるのも早々に、名前を確認したところ、彼女は互田さんでも瓦田さんでも無く、与田さん(ヨダさん)という人であった。やはり自分の見間違いが原因だったが、もはやそんなことはどうでも良い。改めて検索すると、山のように情報が出てきた。流石のGoogleであった。

ヨダさんは、幻でも何でも無く実在の人であった。人気アイドル乃木坂46の一員で、無名どころか、むしろグループ内でも一、二を争うほどの圧倒的人気を誇る清純派、最近ではテレビや雑誌に引っ張りだこの、いわば、ただの売れっ子の人気者だった。何だか拍子抜けであった。勝手に自分だけが見つけたカワラダさん、などと思っていた辺り、非常に恥ずかしく思う。単に、皆がご存知の有名人を自分だけが知らなかった、というだけの話。また、人気アイドルの写真に一目惚れという、己の俗物レベルにも嫌気が差した。一応、ヨダさんだヨ、と片言で呟いてもみたが、その声に力は無く、二週間の恋は幕を閉じた。

何もいりません。舞台に来てください。