自分は幼少の頃から視力が悪く、裸眼ではほとんど何も見えぬ。世界がぼんやりとモヤに包まれていて、下手糞な水彩画の中で何もかもが曖昧に動いている。されど今は令和、目が悪くとも、気にすることは無い。眼鏡やコンタクトレンズもあれば、レーシック治療やブルーベリーだってある。しかし、原始の古き時代であったなら、自分のような人間はおそらく即刻マンモスに踏み潰されるかインディアンに弓で射られて、今頃とうに野垂れ死んでいたことだろう。

自分の家族は全員視力が悪く、中でも自分は猛烈に悪かった。小学生の頃に掛けていた眼鏡はレンズが分厚くて、鏡を見ると目が小さくなっている。自分はそれがとても嫌だった。また自分には、顔をべたべたと触りたくる癖が生まれながらにあったため、眼鏡を掛けていることを忘れて手を顔面にやったときに金具部分が眉間の皮膚にめり込んで痛い目に合う、といったことも多々あり、中学に入ってからはコンタクトレンズに変えた。未だに顔べたの癖は治らず、やはり眼鏡は苦手である。

暗黒大学時代、自分は部活でボクシングをしていたことがあり、今では貧弱ナナフシな自分であるが、当時はそれなりに稽古も重ねて、時には一丁前に試合に出場することもあった。試合では基本的にコンタクトレンズの着用は厳禁されていて、更に軽量と合わせて視力検査が行われる。それをパスしなければ試合には出られないのだ。しかしこの視力検査というのがあまりに陳腐で適当極まりなく、いわば流れ作業のようなもので、列に並ばされた選手たちが一人ずつ顕微鏡のようなものを覗いて、上右下、と3つ言って、合格。では次の人、上右下、はい次の人。という具合であるから、裸眼の自分は何も見えぬ癖に平静を装いながら、上右下、と言って、いつも問題無く試合に出ていた。

問題は試合である。稽古やスパーリングの際にはコンタクトレンズを着用しているが、裸眼だとまったく見えない。対戦相手の顔は勿論、レフェリーの顔も、ゼッケンの文字も、相手の拳も、何もかもが見えていないので、当てずっぽうにパンチを繰り出すしかなかった。モヤの中にいる顔面らしきものを目掛けて、とにかく殴り、殴られ、それはもはやボクシングではなく、完全に別競技であった。試合が終わる頃には毎回廃人と化した。そうして眼鏡を掛けると、ようやく対戦相手の顔が見えて、おれはこんな奴と戦っていたのか、と、そこで初めて気が付く。自分に散々殴りかかってきた人間の正体が判明する、というのは、なかなかの悪夢であった。後から聞いたところによると、こっそりとコンタクトレンズを着用する選手は沢山いる、とのことで、そらそうか、と思った。

コンタクトレンズは消耗品のため、金が掛かる。洗浄液とケースも必要で、それらが無ければ生活出来ない。一度、思い立って裸眼で街に出たことがあるが、それはあまりにも恐怖だった。信号も車も人もはっきりと見えず、道行く人と何回も肩をぶつけた。交差点で車にクラクションを鳴らされたとき、冷や汗が噴き出して、死ぬ、と思った自分は慎重に壁伝いに歩きながら帰宅した。そしてもう二度と、こんな馬鹿げたことは止めようと誓った。生身の身体では、マトモに生きることすら、ままならぬ。ビニール状のものが眼球に永遠に貼り付いていて、そんな暮らしが死ぬまで続くと思うと、やるせない。無人島にひとつ持って行くとしたら?眼鏡かコンタクトレンズ。情けない話である。

何もいりません。舞台に来てください。