遠くへ行きたい

時折、遠方からはるばるライヴを見に来てくれる方がいる。関東、九州、北陸、などからやって来ました、などと言われると、驚きとともに嬉しさで舞い上がる。と同時に、吝嗇ボーイの自分は、だ、だいぶ交通費かかってんちゃいまっか?だ、大丈夫でっか?と思ってしまう。余計なお世話である。

大抵の人は純粋に、見に来れて良かったです、といった様子なのだが、自分は尚も、往復の交通費に加えて宿代や飯代は幾らかと、そろばんを弾いてしまう。遠路はるばるありがとうございます、と口では格好付けて言うものの、そこは吝嗇気質の穢多非人、内心ではびびっている。せっかく金を掛けて来たのにポンチなライヴで無駄足だったぜ糞、と思われてはいまいか、などと勝手な不安に苛まれている。挙げ句には、もし良ければ我が家に泊まりますか、金も浮きますよ、などと口走り、すると相手は明らかに不穏な表情を浮かべて、半歩後ろに下がる。そこで初めて自身の気色悪さを自覚した自分は、最小限の小声で、この機会に大阪を満喫してくださいね、などとつまらないことを言って苦笑い。

思えば、自分も遠征してライヴをすることはある。東京や、北陸、九州へも、ライヴをしに行った。また、ライヴを見に行くだけの目的で、遠くへ出掛けたこともある。日比谷野音へエレカシを見に行った際は、夜行バスで行って、ライヴを見て、そのまま再び夜行バスで帰ってきた。武道館へ清志郎を見に行った際は、青春18切符で往復した。それらに掛かる交通費や宿代など、大した問題では無かった。あくまで、ライヴをする、ライヴを見る、ことが目的なので、そのライヴのために掛かる諸経費など、自分自身にとっては当たり前の出費なのである。他人にごちゃごちゃと心配される筋合いは無い。とにかく、そのライヴが大事であり、生でしか味わえぬロマンのためならば、ある意味、夜行バスなどへっちゃらなのだ。そのロマンを金銭面で心配するなど野暮の骨頂である。人を舐めてはいけない。

知り合いのミュージシャンは、遠征する際はいつも自転車で移動しているという。北海道でのライヴが決まると、本番当日の一ヶ月前に、自宅のある奈良県を出発する。そうして一ヶ月間、ママチャリを漕ぎ漕ぎ、各地でテント泊まりやネットカフェ泊まりを繰り返して、ようやく北海道に辿り着き、歌を歌って、とんぼ返りに南下するらしい。極端な阿呆であるが、楽しそうであることには違いない。

自分も、日本全国、さまざまな場所でライヴをしたいと、思う。少し前までは、どこにも行きたくない病が発症していたが、最近はそうでも無い。交通費さえ貰えれば、どこへでも行きたい。貰えなくても、呼ばれればきっと行くだろう。遠くへ行きたい。「いつでも、どこでも、漫才します」と、オファーは24時間受け付けているのだが、笑えるくらいに誰もして来ない。漫才師の良さは、手ブラで済むところである。流浪の漫才師。いつかメキシコあたりで演れたら良い。

何もいりません。舞台に来てください。