スピード

死なずにいれば、この先、きっともっと何か良いことが起こるかもしれない。まばゆい瞬間が訪れるかもしれないし、今では想像もつかぬ、まさかの展開になって、だってあの頃は思いもよらなかったよね、と笑っているかもしれない。空から落ちてくる雫がちょんと頭に当たるのは、運とタイミングと、それにスピードが関係していて、どの程度先の話になるかは、分からない。人にはそれぞれのスピードがあるのだ。前に進んでさえいれば、そして、心を忘れさえしなければ、そのうち必ず雫に当たると信じている。

夜中の帰り道に私は自転車を漕ぐ。誰もいないからって、車道を走ってはいけません。けれども平気でペダルを漕いでいる。そんなとき、不意に悪い想像をする。あそこの信号のあたりで横から急に大型トラックが飛び出してきて、ドン。激突!粉々!肉片!散乱!…なんてイメージを、してしまう。してしまったものは仕方が無い。汗だくの手でハンドルを握り締めながら、一心不乱にペダルを漕ぐ。信号までもう少し、スピードを落として一時停止か?それともこのまま突っ走るか?どうするねん、と己に問い掛けながら、いってまえ、と、あかんでやめとき、が交錯する。交錯しながらスピードをぎゅんぎゅんに上げていく。やめる選択肢など端から無いのだ。目を瞑り、思い切り爆走をかます。そうして、トラックどころか人も車も何も通らぬ静かな信号を渡り切ったとき、息も絶え絶え、ああ良かった、そらそうよね、と暗闇で一人安堵している。

そんなことを十代の頃からしていて、未だにしているというのは少し恥ずかしいのだが、これは、夜中の帰り道における、ある種の日課のようになってしまった。まったく死にたくない癖に、死に近付くような感覚を、ほんの少しだけ味わいたいのである。けれども、もうこんなことはやめようと思った。くだらないことであるし、何より無意味ではないか。それに、これはもしかすると、悲しいことなのかもしれない。だからもっと別のところでスピードを出そう。私は、そういう風に思える人間になったのだ。

何もいりません。舞台に来てください。