スーツ

たとえば音楽をしている人は、ライヴのたびに楽器や機材を大層に抱えて息を切らしながら会場へ向かう。弦楽器の弦が切れたら新しい弦を買わなければならないし、機材が壊れたら修理しなければならない。大変なことである。しかし逆に、まとまった金が入れば、新しいギターを買うんだとか、新しいシンセサイザーを買うんだとか、何だか楽しげで、羨ましい。画家ならば絵具やキャンバス、写真家ならばカメラやレンズ、それらは表現にとって不可欠なものであり、そして自分好みのものを求めることが、彼らの楽しみのひとつでもある。

漫才師は、基本的に口以外何もいらない。ライヴがあっても手ブラで良い。気楽だけれど何だか寂しい。だから衣装くらいは気に掛けようや、と誰が言ったのかは知らんが、大体の漫才師は衣装を片手に会場へ行き、本番前に着替える、ということを当たり前のようにやっている。自分もそのうちの一人で、舞台の日は衣装を片手に会場へ行く。楽屋があろうと無かろうと着替えるので、ライヴによっては客席や廊下や外で着替えることもある。そうまでして着替えなくても良いと思うのだが、漫才師など全員が気狂いもしくは思考停止の猿なので、通行人や観客に見られているときでさえ、平然と着替えを行う。

自分は昔から、漫才をするときはスーツを着ている。就職などしたことの無い自分にとって、スーツはひとつの憧れであり、男の浪漫であった。少しでも社会人ぶりたいのか、よく分からないが、ともかく、スーツは格好良いもの、と思って、着ている。問題は体型である。自分は両腕が長くて肩幅が狭い。腰回りも首周りも短いくせに、やたらと長さだけはある。ナナフシ的奇形のフォルムである。肩や腰に合わせたスーツを着ると、袖丈が足りぬチンチクリンになる。逆に袖丈に合わせると、肩や腰がモンマリする。自分は、自分に合った、ナナフシ的スーツが無いことが長年の悩みであり、肩や腰を太らすために深夜にペヤングを食べたりもしたが効果は無く、泣く泣くモンマリスーツを着て漫才をしていた。

ところが先日、まとまった金を手に入れた自分は、オーダーメイドスーツ、という言葉が脳内に突如閃き、一念発起でスーツ屋へ行き、仕立ててもらい、ついに念願のナナフシ的スリムフィットスーツを手に入れた。色は黒。ほんのりと光沢があり、柔らかい生地にストライプが入っている。新しいスーツを着るときの心持ちは、例えるならば、新しい恋人といるときのようで、片時も離れたくない、永遠にラヴ、これからはシクヨロ、と浮かれながら、自分は新しいスーツに袖を通した。肩も腰も腕もフィットしていた。ご機嫌になった。

それからは、家の中でも着てみたり、無駄にスーツ姿のまま散歩をして、わーいわーい、と棒読みしながらスキップをしたりして、蜜月の日々を過ごした。しかし、ひとつだけ、思い残しというか、失敗したことがある。それは、スーツの内側に縫う刺繍である。普通は自分の名前をローマ字で刺繍するものだが、仕立て屋のおっさんに、刺繍は何と入れますか?と聞かれた自分は、なぜか狼狽えてしまって咄嗟に、漫才、と言ってしまったのである。言った瞬間、変な汗が飛び出たが、おっさんは至って冷静な様子で、了解です、と言ったきりだった。

出来上がりのスーツの内側を覗けば、しっかりと「Manzai」と刺繍されている。ローマ字かい。

何もいりません。舞台に来てください。