幸せオッサン計画

「面白いことだけして、一生ふざけて暮らしたい」と、その昔に言ったら、アイツは「それは良くない。甘い、気がする…」なんてほざいていたが、自分は今でも平然と甘く楽しく暮らしている。アイツは日雇い労働に精を出しながら、相変わらず他人の文句ばかり垂れているようだ。「お前は変わったな…」なんて言ってくる輩もいた。当たり前ではないか。毎日がブランニューデイ。自分は胸を張って、今が一番楽しい、と思える。現状に満足はしていないが、この先の人生が楽しみで仕方無い。

昔の自分には、よく頑張りました、と言ってあげたい。悩み、学びながら、特に10代後半から20代は、暗鬱としていた。まったく、どうしようもない野郎だったと思う。もっと素直にしていれば良かったのに、あの頃の自分は、全ての物事をひねくれた目で眺めて、誰かを楽しませる余裕も無く、周りには常にムカついていた。若いうちは何事も疑問で、己自身にも疑問を抱くものであるらしい。芸人のクリスタル大坪氏(御年72)曰く、「若い人には罪の意識がある」。何という名言だろうか。自分もまた、そうである。この罪の意識ゆえ、己自身にも素直になれず、理想と現実に苦しみ、悪臭ニキビの日々であった。

で、今はどうなの。お前は素直になったの。と聞かれれば、まぁ、少しくらいは、と言いたい。あの頃と大きく違うのは、人のことを知った、ということである。それまでの自分は、人間というものが本当に分からず、他人を理解することが出来なかった。自分だけが宇宙の海にぽつんといるような虚無感が常にあった。未だに、そういう瞬間はある。けれども、あの頃よりはマシかもしれない。あぁ、きみも大変なのだな、と思えるようになり、寂しいのは自分だけでは無いことに気付いた。宇宙の海でぽつんとしている人は他にもいたのである。普通は学生時代に知るようなことを、大人になってようやく知った自分は、頑張ることをやめた。しょうもない嘘で誤魔化すよりも、もっと素敵な嘘でときめきたい。それからは、楽しいときには楽しいと言い、好きな人には好きと伝えるようになった。

だが、思春期はそう簡単には終わらない。32歳、ちっとも大人になった実感が無い。未だに罪の意識もある。新しい何かにドキドキする。相変わらず一人寂しい気持ちになって、全員死ね、と思う夜もある。仲間、なんて言葉には反吐が出るし、ムカつく奴は全員燃やせば良いと思う。そして、自分が最強だと思っている…。これは永遠に続くような気がする。

舐められても恥ずかしくても平気で笑える自分には、やりたいことがまだある。不埒なもので、すぐにあれもこれもと空想をする。バンドを組みたい。雑誌を作りたい。AVを撮りたい。海外に行きたい。いずれ全て実現するつもりだ。自分は今まで、そうしたイメージを具体的な行動に移してきた。全て始まりはイメージから来ている。大して上手くはいかないが、それでも形にはなる。努力、頑張り、は一切要らない。イメージと、行動と、運、のみである。

高校生の頃は、30歳くらいで死のうか、と思っていて(あ、もう越えている…)、20代の頃は、40歳くらいまでかな、と思っていた。今は、60歳くらいまでは生きても良いかと思えるようになって、年々、延命されている。こんなことを言いながら、90歳まで生きるような気さえしている。歳を取るのはちっとも悪いことでは無い。自分の周りには、素敵な年寄りも多い(それこそ、クリスタルさん!)。

白髪が増えて、筋力も衰えて、加齢臭も噴き出して、確実にオッサンへの道を歩む自分であるが、これを読む若者に言いたい。これから、もっと面白くなるゾ。30代、そんなに悪くない。だからきみも、もう少しだけ生きた方が良い。正直、いつ死んでもおかしくないと、思いませんか。ならば…。やりたいことがあるなら、いっぺんくらいは、恥ずかしくても、やってみれば良いんじゃないですか。おれに負けるなよ。…なんて臭い戯言は、一蹴して欲しいと思う。

つまり、年齢など関係無い、ということが言いたい。己の「経験」にあぐらをかいたような年寄りになるのだけは御免だ。かといって、罪の意識を持ち続けて、何もせずに老けていく若者にもなりたくない。

私は、幸せなオッサンになりたい。というわけで、最初の言葉に戻ります。「面白いことだけして、一生ふざけて暮らしたい」

何もいりません。舞台に来てください。