満員御礼札止め
近頃は、自分の店でのライヴもお客が入るようになってきた。一時期は20人も入れば御の字であったのに、今では、立ち見など出て、ライヴによっては満員御礼札止めになることもある。嬉しいことである。勿論、我々の力では無く、周りの演者の人気や集客力の賜物であるが、何にせよ、沢山の人の前で漫才が出来ることは有り難い。
ただ、素直に喜べぬ自分もいて、なぜなら、満員御礼札止めによる障害も確かに存在するからだ。まず、ゆったりと見ることが出来ない、ということ。満員御礼札止めのときは、座席もみちみちの寿司詰めに置いてあるため、隣席のお客と肩をぶつけながら、足を踏み踏まれながら、見ることになる。隣が臭気漂うゾンビ吐息野郎ならば最悪である。また、後方立ち見での観覧は、棒立ち状態のため身動き取れず、足に乳酸が溜まるため、負担も大きい。そんな調子では笑うこともままならず、鼻を止めて、足を震わせて、一刻も早くライヴが終わることを祈るしか無いだろう。まるで本末転倒である。
もうひとつの難点は、新規のお客がふらっと入り辛い、ということ。満員電車にわざわざ乗りたいと思う人がいないのと同じで、空席が無ければ、なかなか入って来れない。そもそも、大して告知もせずに予約完売になるライヴもあるため、そのライヴのことを知る余地すら無い。結果、馴染みのお客や知り合いで満員御礼札止めとなり、新しい人まで巻き込んでいくことが、難しくなる。
狭い店で座席も限られているため、こればかりは仕方が無い。いつも申し訳無く思う。それに、毎回のように来てくれるお客がいるなんて、夢のような話ではないか。とっくに潰れていてもおかしくないような小汚い場所に、沢山の人が集まってくる。馴染みのお客たちは、立ち見だろうと、何も文句を言わない優しい人ばかり。観覧マナーも良く、吐息も無臭の人ばかりである。そして、演者は常に目の前のお客を強烈に笑かして破裂させてやろうと、それだけを考えている。ひとときの共鳴は、記録には残らず、記憶にだけ残る。素晴らしいことではないか。
冷静に考えると、こんな状態がいつまでも続くわけも無い。そのうちに一人ずつ死んでいく。だから、あまり気にせず楽しもうと思う。これからも、大切な存在を守りつつ、新しい風が吹くような場所になるように、そうしたライヴが出来るように、地味に続けていきます。
何もいりません。舞台に来てください。