恐るべき涙

自分は人前で、ほとんど涙を見せたことが無い。たとえば卒業式、受験の合格発表、誰かの結婚式、葬式など、それらの感動的もしくは悲哀的な場面において、どういうわけか涙が一粒も出て来ない。思えば祖母の葬式の際にも、自分は真顔でいた。哀しみを噛み締めて、けれども表情は真顔のままであった。すると姉に、あんたもちょっとくらいは泣き、と小言を言われて、恥ずかしく思った。

涙腺が干からびて腐っているわけではない。独りのときには、たとえばテレビを見て(探偵ナイトスクープなど)、普通に涙する。夢から覚めて、ぐずぐずに泣いているときもある(理由は分からない)。しかし誰かがいる場では、全くもって泣くことが出来ない。

また、他人の涙も、出来る限り見たくないと思っている。今まで何人かの人が、自分の目の前で悲哀の涙をこぼした。そういったことは、やめて欲しいと思う。なぜなら自分は、他人の、特に女性の涙を見ると、アレルギーのように全身がむずむずとして、まるで冷静ではいられなくなるのだ。胸がえぐられるほどに締めつけられて、痴呆のようにアワアワと焦ってしまい、涙の光景に耐えることが出来ない。

たとえば恋人と何かの拍子に言い争いになって(そんなときは大抵自分が理論武装して強固に言い負かしてしまう)、結果、相手が涙したとする。その瞬間、自分の中にある全ての怒りや主張が崩れ落ちてしまい、議論は即終了、こちらは痴呆となり、わけのわからぬテンションで、ごめんごめんごめん頼むから泣かんとってくれよぉアワアワ!の一点張りで、完全なる敗北宣言とともに平謝りをする。すると恋人も、あぁこいつには涙すれば勝てる、と学習するのだろう、どこで稽古したのか知らぬがいつの間にか女優並の泣きの演技を会得していて、以後は、言い争いになりそうな雰囲気になると、相当早い段階でホロリと涙をこぼすようになる。まだ泣くほどのことをこちらは何も言っていないのにも関わらず、さも哀しげな面持ちで一筋の涙が頬を伝うのである。涙アレルギーの自分はたとえ嘘泣きであろうと痴呆を発症するため、結果、常にこちらが完敗の平謝りと相成り、いつまで経っても争いに勝つことが出来ない。

女性の悲哀の涙というものは、美しく儚く、そして全てを台無しにするほどの強烈なパワーを持っている。恐るべき涙。自分も人前で涙を流すことが出来たなら、もっとスムーズな人生を送れたのかもしれない。

何もいりません。舞台に来てください。