祝福の心

年明けの1月7日が誕生日なのだが、相方のおふざけにより、勝手にライヴを企画された。ヤング嶋仲バースデイライヴらしい。20歳とか、それこそ60歳ならば、祝!という感じで理解出来るが、33歳である。中年の域へ踏み込みつつ、けれども未だに若輩者、33歳の男とは最も祝う必要の無い存在ではないか。現に自分は33歳になることに対して何の感慨も無ければ、寂しさも無く、勿論、嬉しさも夢も希望も無い。肝心のライヴ内容についても自分は、開演時間に来い、お前は何もしなくて良いから、と言われたのみで、甚だ迷惑である。アイドルじゃあるまいし、大して人も集まらない気がする。そして何より、もしもライヴ内容が面白くなかったら、赤っ恥である。本当にやめて欲しい。けれども、もう決まっていることで、今更やめるわけにもいかぬ。文句を垂れても仕方無い。こうなれば、いっそのこと思い切りハチャメチャに祝ってもらって、祝福の嵐を肌で感じ、激烈なる幸せを独り占めするしか無い。最高の誕生日。33歳まで生きてきて良かったと、心から思える夜にしたい。

自分は、祝われることは苦手だが、誰かを祝うことは好きなのだ。こないだも、ある女性が我が店に来て、実は私今日で30歳になりました、と言った。あら、それはおめでとうございます。自らの誕生日にこんなしがない店に遊びに来てくれて、何とも嬉しい話ではないか。何かプレゼントを、と思ったのだが、生憎、店内には腐りかけのゴミしか転がっておらず、プレゼント出来るような物は見当たらなかった。仕方が無いので、自作の亀ノートブックというノートか、先日野音で演ったときに使用した洗濯バサミ付きのビーチボールか、同じく野音で自分が着たワインレッドジャケット、この3つの中から選んでください、と言うと、彼女は嬉しそうにジャケットを手に取った。10年ほど前に古着屋で500円で買ってから一度も洗っていない、非常に臭くて汚れた服なのだが、それに胸の内側にはおそらく以前の持ち主であろう「松井」という刺繍も付いているのだが、そんなことはどうでも良い。物はどうあれ、心である。おめでとう。あなたのために、お祝いします。そうした祝福の心が大切なのだ。

ですから1月7日、note読者の方は是非お集まりください。そして私を大いに祝福、33歳までよく生きました、と労ってくれたら、幸いです。当日までの間、私は不安に暮らします。

何もいりません。舞台に来てください。