お褒めの言葉

真っ直ぐな人が好きだ。たとえば、良いものを良いと言い、苦手なものは苦手と言う、好きなものには胸を張って好きだ!と言える、そんな真っ直ぐな人を見ると、ときめく。

何せ自分は、真っ直ぐに憧れるだけのヘナヘナである。いやあ、まあ、別に、が口癖の、誤魔化し野郎である。昔から好きな娘にはわざと冷たいフリをして、素っ気無く接してしまうような駄目ボーイあった。だが、大人になって、ヘナヘナなりに考えた結果、好きなものには真っ直ぐ好きと言った方が楽しい、ということに気付いた。それからは人に会っても、「お洒落な靴ですね」などといった言葉がすんなり出るようになった。

褒め上手な人は、ただ気持ちを伝えるだけでは無い。相手を気遣い、言葉を選ぶ。愛すべきものを愛し、なるべく真っ直ぐな心で、お褒めの言葉を相手に伝える。それはとても素晴らしいことで、自分も真っ直ぐ褒め上手な人になろうと思った。

さて、逆のパターンはどうだろうか。たとえば誰かに「きみの靴良いネ」と言われたとする。自分は未だに相手のこうした言葉を真っ直ぐに受け取ることが出来ない。誰かを褒めることが出来ても、誰かに褒められることには、いつまで経っても慣れないものだ。思考回路としては、この人はこの靴をどのくらい良いと思っているのか、単なるおべんちゃら、話題作りの一貫で言っただけか、それとも、靴くらいしか良いところが無い、靴は良いのにお前自身は良くない、という皮肉ではあるまいか、など。ややこしく誇大した自意識が自らを卑下させる。その結果、「え?靴?どの靴?あぁ、これですか。これは確かに靴ですね。ぼくは靴を履いていました。ぼくには足がありますから」と訳の分からないことを口走る。

これは、照れ隠しでもある。心の中では、わぁい、と思っても、上手く表現出来ずにいるのだ。ただ、どうでも良い相手の場合は、どうでも良いので、ありがとうございま~す!なんて言うときもある。どうでも良くない場合は、難しい。瞬時に胸の奥が緊張して、息が詰まりそうになる。相手がもし女性ならば、それこそ恋の予感で死にかける。それを隠すために、ゴニョゴニョと言い訳じみたセリフを吐いたり、とぼけたセリフで流したりして、真顔を貫こうとする。嬉しいときほど、照れが増えるため、隠しも比例して増える、というわけである。

その癖に、人から褒められたい、といつも願っている自分は、一体全体果たして何がしたいのだろう。褒められたい、そして、誰かをきちんと褒めたい。本当は面と向かってアイツに、きみとても格好良いな、面白いし、凄いよ、と言いたい。あの娘にも、きみとても可愛いね、足も綺麗だ、良い匂い、素敵な心だ、と言いたい。たとえ、セクハラっ!と平手打ちを食らっても、伝えないより伝えた方が良い言葉は沢山ある。

これからは、あなたの良さを、あなたに真っ直ぐ伝えようと思う。あなたが伝えてきたことも、出来るだけ真っ直ぐに受け止めたい。

何もいりません。舞台に来てください。