不平等精神

自分はどちらかというと人見知りで、飲み会や打ち上げやパーティーなども極力避けて生きてきた。皆でワイワイしているのを見ていると、誰とも話したくない気持ちが湧き上がり、口を尖らせて無口なひょっとこになる。グループ行動も苦手で、他人のノリに合わせることすらせず、だんまりを決め込む。舞台上でも、エンディングでーす!ワイワイガヤガヤ、となると、もう勝手にしなさいよ、という気持ちになって、太った芸人の後ろに回り込み、忍者の気分で雲隠れの術を試している。初対面の人に対して、やぁ!ハウアーユー?なんて言ったことは一度たりとも無い。そんなことばかりしていて、もし場の雰囲気が悪くなったらどうすんのさ?と聞かれたとしても、答えは、関係ないね、である。何の責任も感じずに、余裕の棒立ち一点張りでいる自分は、か弱い人見知りではなく、パワー系の人見知りなのだ。

そのため、初対面の人からも、恐い、話し掛け辛い、といった印象を持たれることが多く、そう言われたときは、そうですか、じゃあ無理に話し掛けないでください、と冷酷に思ってしまう自分がいる。そう思われた自分が悪いのではなく、そう思った相手が悪いのだ、と開き直る始末。

では口下手かというと、そんなことは無い。喋ることは大好きだ。波長の合う人とならば、永遠に話していられる。まったく苦では無く、人に話すのも、人の話を聞くのも、楽しい。昔、友達の家に泊まった際など、布団を並べて消灯してからも自分は喋り続けて、友達が寝ていても喋り続けて、そのまま朝を迎えたこともある。

黙ることも同じくらいに好きで、たとえ誰かと会話をしている途中に沈黙が訪れても、それが楽しい。沈黙が気まずいのは、きっと相手のことを信頼していないからであろう。

昔から、他人を差別し、えこ贔屓してきた。波長の合う人、イイなと思う人、に対しては、優しく楽しく愉快な関係を築きたいと思う反面、合わない人、つまんねーなと思う人、に対しては、すこぶる冷酷にあしらってしまう自分がいる。そのため、嫌われることも多いのだが、別に嫌われてもいい人から嫌われるだけなので、心の損害は少なくて済む。こうした不平等精神は、新たなコミュニケーションの形ではないだろうか。他人を差別する気持ちは、皆どこかに必ず持っているはずである。皆がもっと素直に不平等精神を大切にすることで、対人関係の悩みや軋轢が減るのではないだろうか。みんなおんなじにんげん、アイラブユー。

何もいりません。舞台に来てください。