土中の戯言

どこにも所属せずに活動していると、地下芸人、アングラ芸人、などといった言い方で評されることがある。そう言われたときには、首をかしげて白目を剥いて、やるせない気持ちになる自分がいて、やるせないからやるせない。自分が今までやってきたこと、そして今やっていることは、所詮、地下活動なのだ。全くもって理解出来ない。

ひとつずつ処理していくと、地下芸人、これは、地下に埋もれた芸人、といった意味であろう。しかし、自分は地下に埋もれてはいない。なぜなら地上で暮らしていて(何より、家はマンションの5階だ。上空だ)、それに、なるべく周りには埋もれないよう、独自の活動を見出しているつもりでもある。地下ライヴ、も同じく、たとえば自分が経営しているライヴ喫茶 亀は、どう見ても地上に建っていて(それも路面店、ガラス張りで風通しも良い)、そこで行われるライヴは地下では無い。

それでもやはり、地下地下と言われる。無名で人気も知名度も無いから仕方が無い。傍から見れば、地下芸人。地下に埋もれたモグラ野郎。光を浴びぬ土中乞食。名も無き石ころである。真っ暗な地下でひぃひぃ言いながらゲロを吐いて、さぞかし苦労しているように見えるのかもしれない。現実の自分は、芸人として、何一つ苦労をしていない。

アングラ、つまりアンダーグラウンドは、地下の英語版であるが、先程とは少し意味合いが変わる。アングラというのは、昭和の時代の、主に芸術や演劇における、いわゆる商業的なポップさとは相反する前衛的な演出から生まれた言葉であろう。それは、表現者が自らポップを捨てて、奈落の底を目指した先にある到達点であり、そう生半可なものではない。我々は老人会の営業でニコニコ漫才をすることもある。自らをアングラだとはあまり思っておらず、また、アングラに身を投じる覚悟も無い。けれども、自分の演っている漫才や主催ライヴなどを傍から見れば、テレビポップな笑いとは相反する過度なブラックや差別笑いも多分に含まれているので、その辺りがアングラ的な雰囲気に見えるのだろう。だが、それを言うなら、テレビでポップしている有名な芸人たちも、生の舞台だと、かなりどぎつい笑いをしていることも確かで、演劇や芸術と違って、生の笑いの世界におけるアングラ的な要素は、別段、特別なことでは無い。

じゃあ、お前を呼ぶときは何と呼べば良いのだ。何て言うて欲しいか言えや、この糞芸人がっ。うむ、糞芸人、というのはなかなか良い言葉だと思う。腐れ漫才師、カス漫、ぶた漫、などと呼ばれたら、そうでござんす、と思うかもしれない。ただ、涙を流す可能性もあるので、これからは、インディーズ、という言葉で呼んで頂きたい。インディペンデント、つまり、独立した活動、ということである。大手に属するメジャー活動ではなく、我々は自分たち個人単位で活動しているので、完全なるインディーズである。ライヴに関しても、イベンターを挟んだり、協賛がいるわけでも無いので、インディーズライヴ、といって問題は無い。つまり、我々は、あくまでインディーズ。無名のインディーズ漫才師。何が悪い。これからもインディーズとして地上で活動することを、声高らかに宣言しておきたい。自分はインディーズを誇りに思っている。全ての芸人がインディーズで活動するべきだ、とさえ思っているのである。

何もいりません。舞台に来てください。