髪切り大将

令和時代になったというのに、日がな愚鱈の自分は朝から納豆ばかり食べている。このままではいかん、現状を打破せねばならん、と思い立って、携帯を開いて見たのは、ホットペッパービューティーというサイトであった。何もビューティーになろうというわけでは無い。自分は美容室に行って髪を切ろうと思ったのである。とはいえ、自分は根っからの床屋嫌いで、普段は専らセルフ斬りをしては血まみれになって笑う、ということを繰り返している。詳しくは、
https://note.mu/shimayoung/n/nf97abdff0f4e

令和時代、新しい風を吹かすためにも、ここらで一発生まれ変わる決心をした。美容室が嫌いなんてダサいことを言っている場合では無い。毛むくじゃらの殻を脱却して、つるつるのイケてるメンズになろうではないか。ホットペッパービューティーで最寄りの手頃な美容室を見つけた。洒落乙な雰囲気の店である。予約の時点で既に不安と鬱屈が自分の脳内を支配していた。そんなことでは駄目ではないか。髪切り大将、いざ行かん!外に出れば灼熱の陽射しが照りつける。陽炎の向こうで爺さんが婆さんを殴っている。髪切り大将は自転車爆走をしながら自殺したい気持ちを抑えつつ、美容室に到着した頃には汗だくになっていた。

受付を済ますと、こちらをお書きください、と言ってカルテのようなものを渡された。美容院やなくて病院かいな、とダイ・ラケの漫才を思い出しながら、氏名、年齢、職業などを書く。更には質問要項がいくつかあり、このカルテに客の希望を書いて、それを担当美容師に提出するという仕組み。上手く要望の伝えられぬ自分のような貧弱大将にとっては、嬉しいシステムである。

どのようなイメージをご希望ですか?という項目には、かわいい、キュート、大人っぽい、クール、カジュアル、モード、若々しい、カジュアル、かっこいい、などの言葉が並んでいる。そこに丸を付けろというのだ。自分は大いに悩んだ。かわいいとキュートは果たしてどう違うのだろうか。かわいいよりもキュートの方が何となく素敵な感じがする。天使的というか、キューピットとキュートって、言葉が似ているな。そんなことを思いつつ、自分はキュートに丸を付けたが、その瞬間、あ、ヤバい、と思って、一応、クールとかっこいいにも丸を付けた。

しばらくして、鏡台前に案内された。担当はおそらく同年代の女性で、よろしくお願いしまぁす!と元気が良い。社交的な笑顔と持ち前の明るさを武器にしているような、矢野顕子の若い頃みたいな顔をした人だった。どんな感じでいきますぅ?と言われた自分は、キュートでクールでかっこいい感じ、とは言えず、もごもごとした。さっきのカルテは何やってん。そして過去の失態を思い出した。今まで行った美容室では、上手く要望を伝えられない結果、至って普通のスタンダードヘアにされてきた。今回ばかりはしっかりと自分の要望を伝えよう、と決意してきたものの、やはり、何も言えぬ。いざ本番となると勃起しない陰茎の如き大将。次第に脂汗とともに、赤面してきた。

すると女美容師は陰茎大将の異変に気付いたのか、一冊のヘアカタログを出してきて、何かイメージはありますか?と言った。何と優しい人だろう。こちらの貧弱さを汲み取ってくれている。この人が初体験の相手だったら、おれもちゃんと勃起したのかな、と思いつつヘアカタログをめくったが、特にこれといった髪型も無く、イメージは湧かず、勃起もしなかった。つまり、自分には何の要望も思い付かなかった。自分の中に、希望のヘアスタイルというものが、一切無かったのである。

カタログを閉じた自分は落ち着いた調子で、好きに切ってください、何の文句も言いません、お姉さんのやりたいように切りまくって貰って構いません、失敗しても大丈夫です、と言った。女美容師は、キャハハっ!と笑った。自分は真顔で無言で、鏡に映る自分の顔面を見つめていた。分かりましたぁ、でしたらぁ、トップを短めにしてぇ、サイドをツーブロックにしてぇ、とイメージを話す女美容師に対して自分は、ツーブロックだけはやめてください、と、これまた真顔で言った。

耳周りを刈り上げるツーブロックヘアが昨今の流行であることは知っている。先日も銭湯に行った際、若者たちは皆一様に耳周りを刈り上げていた。しかし自分は、はっきり言ってあの髪型が嫌いだ。これは完全に偏見ではあるが、ツーブロックの男は、胡散臭くて陰険でアイコスを吸っていて大便を流さないようなイメージがある。そんな男にはなりたくない。何よりも、面白くない。

ツーブロックだけはやめてください、勘弁してください、と言った自分を見て、女美容師は一瞬だけ怪訝な顔をした。お前何でもええって言うたやん、という表情だった。厄介な奴だと思われたかもしれない。しかしすぐに笑顔を取り戻した女美容師は、りょうかいです!任せてください、と言いながらジョキジョキと切り始めた。それから約30分間、女美容師のすべらない話、USJに行った話やホラー映画が見れない話、甥っ子を連れて阿倍野ハルカスに行った話などを、へえ、と、なるほど、を多用しながら自分は聞き流した。例の如く、毛量が多く剛毛であることも笑われたが、なるほど、を連発して耐えた。鏡に映る自分は、ゾーンに入ったというか、完全に生まれ変わっているような、超人的な真顔だった。大将たる威厳が醸し出されていた。

サッパリとしたヘアに変身した自分は、ありがとうございました、と言って店を出た。少し切られ過ぎた気もしたが、ツーブロックを避けることが出来ただけでも収穫だ。今までの自分ならば、きっとツーブロックになって泣き寝入りしていたはずである。自分を褒めてあげたい。眩しい太陽の光を浴びながら口笛を吹く自分は、一皮剥けたような心持ちであった。

何もいりません。舞台に来てください。