心配症

矢鱈と他人の心配をする人がいる。頼んでもいないのに、勝手に色々と心配をしてきた挙げ句にネガティブな言葉を掛けてきて、こちらは前向きに頑張ろうと思っているのに、ボクはそれはどうかと思うよ…、などと言ってこちらを不安な気持ちにさせてくる、疫病神のような人間がいるのだ。しかし本人にとっては、それは優しさであり、思いやりであるため、自身が疫病神であることには気付いていない。むしろ、キミのために言ってあげて良かった、とさえ思っているようである。

確かに、優しさといえば、優しさなのかもしれない。自分のような人間のことを、その人は一生懸命考えてくれたのだろう。思うあまりのお節介、というわけか。それとも、楽観的に腑抜けているコアラ人間を目の当たりにして、キミそんなんじゃいけないよ…心配だねぇ…、と釘を刺したくなるのだろうか。だが、そのせいでせっかく前向きになれたコアラは、また少しだけ下を向いてしまうのだ。放っておいてはくれないか。

自分は誰かを心配することがあまり無い。無闇な心配症は、かえってその人を落ち込ませる可能性があるからだ。そして、人生というものは、最終的には自分自身で、一人で何とかしなければならないのだと思う。

先日、我が家に家族が増えた。夏祭りの夜店でゲットした、小さな海老三匹(小指の爪サイズ)と、沢蟹一匹(足の親指サイズ、片ハサミ無し)である。生き物を飼うなんて、何年ぶりだろうか。NHKの「ダーウィンが来た!」を毎週見ているせいか、生き物の苦労と心意気を知っていた自分は、責任を持って彼らを育てようと誓った。

水槽代わりに大きめのタッパーを用意して、水と、公園で拾った石と、餌代わりに米粒を何粒か入れる。また、蟹と海老を同じタッパーに入れると海老が喰われるかもしらんと思った自分は、蟹専用タッパーと海老専用タッパーに分けて、それぞれ飼育することにした。

が、海老は海老で、三匹の個体の大きさが微妙に違っていて、タッパーの中を見てみると、一番小さなチビ海老が他の二匹に追い回されている。逃げ回ったチビ海老が、おもむろに水面からジャンプした。海老は驚くと、水中で腰を折り曲げて、飛び跳ねる習性があるのだという。そのままタッパーの外へ飛び出たチビ海老は、床でピタピタと暴れていた。可哀相なチビ海老。自分は、もうひとつタッパーを用意して、他二匹と隔離して、それをチビ海老の一人暮らし専用住居とした。

これでひとまず大丈夫、と思いきや、今度は蟹がタッパーをよじ登り外へ、そのまま床に落下し、仰向けに転がっているではないか。ジタバタと暴れるのを捕まえて、タッパーに戻す。しかしタッパーの高さが低いために、目を離すとすぐに蟹は脱走を計る。その度に床に落下して、ヒクヒクしている。元々が片ハサミのカタワ蟹である。もうひとつのハサミまでもげてしまったら飯も食えないようになる。頼むから逃げんな、逃げたら死ぬぞ、お前のためを思って言うてるんや、と蟹に言い聞かせても、分かっているのか分かっていないのか、石の陰でぷくぷく泡を吹いている。

明日、まともな家を作ってやろう。今日はおれは疲れた。海老には、跳ぶなよ、蟹には、逃げるなよ、と何遍も忠告をして、念の為、タッパーにも蓋をした。しかし窒息死されても困るので、換気のために少しだけ蓋をずらしておき、じゃあ、おやすみ、と電気を消して自分も寝た。

夢の中で、野良猫が部屋に侵入して蟹を食べようとしていた。やめてくれ、おれの蟹を食べないでくれ。海老が卵を産んで大量発生している。海老だらけの水槽からチビ海老や卵が溢れていた。カタカタ、カタカタ…、と音がして、自分は目を覚ました。夜明け前だった。カタカタ、カタカタ…。蟹だ、とすぐに分かった。むくりと起き上がり、電気を付けて、タッパーを確認すると、やはり蟹がタッパーの外でカタカタ…と歩いていた。何とか自分の住居に戻ろうとしているのである。また逃げたんかお前、帰りたいんなら最初から逃げるな阿呆、と捕まえて戻そうとした、その瞬間、自分の腕が隣のチビ海老のタッパーに当たってしまって、その拍子に驚いたチビ海老が飛び跳ねて外へダイブ。床でひくひくするのを捕まえて戻す。頼むから寝させてくれ。今度は蓋に重しを置いた。また、蟹に関しては逃げられぬようにダンボールを切って囲いを作った。もう朝になっていた。

こんな調子では、この先外出することもままならぬ。けれども致し方無い。おれがそばにいなければ…。それからは蟹も海老も大人しく、逃げ出すことも無かったのだが、心配症なお父さんに成り果てた自分は一切眠れず、血走った目で静かに狂っていくのだった。

何もいりません。舞台に来てください。