亀でも行こうかな

我が店、ライヴ喫茶 亀は大阪玉造にある。ライヴの無い日はきまぐれに喫茶営業をしていて、店主の自分は飯を作ったり珈琲を淹れたりしている。狭い店内は、いかんせんお洒落では無く、レトロと呼ぶには良すぎる、昭和のスナックを居抜き改装しただけのボロ店で、開店資金もギリギリであったために、色々と間に合わず、天井付けの壊れた業務用エアコンはカバーが取れて剥き出しのまま撤去もされず放ったらかしにされていて、壁面は所々穴が空いて剥がれ落ちているし、表の看板などは未だに「スナック紅」のままである。飲食店としては、ちょっと狂ってるかもしれない。それでも一応営業していて、勿論繁盛はしていないのだが、ポツポツと常連のお客さんが来てくれる。

喫茶店とはいえ、地元の人は滅多に来ない。時折近所のおっさんなどが入ってくるが、どの人も何故か気まずそうな様子で、再び来ることは無い。常連のお客さんは一人で来る方が多い。大抵、電車やバスに乗って、30分またはそれ以上の時間を掛けて、わざわざやって来る。カウンター席でよく喋る人もいれば、テーブル席で大人しくじっとしている人もいる。そうして何気ない時間を過ごして、帰られる。自分は大した接客もしないし、基本的にはオフ・モードで声も小さくつまらぬ言葉しか出てこない。特に首が痛い日などは、あからさまにだるそうな様子で煙草を吸い続けていたりするから、本当はもう少しお客さんのことを考えるべきなのだが、どうしても怠けてしまう。あかんな、ちゃんとせな、でもだるい、もうええわ、情けなさと諦めが脳内に渦巻き溢れるのを感じながら、洗い物をしている。決してお客さんを舐めているわけでは無い。けれども、無理矢理の疑似スマイルでいらっしゃいませ!などと言うのも柄で無い。何より、このような体たらくの喫茶店を気に入ってくれるお客さんがいる。ある人に言わせると、適当にゆるい雰囲気で放っといてくれるのが逆に良い、とのことである。逆に良いのか。そら良かった。

今日は休みだし、久しぶりに亀でも行こうかな。思い立って、地元の駅から電車に乗り込む。彼や彼女が電車に乗ってこちらに向かうその間、一体どんなことを考えているのだろうか、ということを、自分はよく考える。自分には、わざわざ電車に乗ってまで行くような店が無いので、変な話ではあるが、彼や彼女がそうした店を知っていることが何だか羨ましいのだ。座席に座り、ぼんやりと窓の外を眺めたり、携帯を見つめたり、音楽を聴いたり、本を読んだり、しているのだろうか。友達や恋人とメールのやり取りをしたり、「小顔 マッサージ 即効」で検索をしたり、おもむろに手帳を開いて何か思いついた言葉を書き込んだり、マスクの下でくすりと思い出し笑いをしたり、エロスな妄想に軽く火照ったり、約束の日を指折り数えたり、しているのだろうか。ルンルンな日もあれば、疲労でうなだれている日もあるだろう。もしかすると、何か忘れたいことでもあるのかもしれない。いや、そんなに大袈裟なもので無くても、ま、今日は、今日くらいは、珈琲でも飲んでゆっくりしようかな。

玉造の駅に着いて、改札を出たら、とぼとぼと猫背で歩く。駅からの道はいつまで経っても慣れない。何かやっぱり少し緊張するんよな。ああ、誰か来てるかな、誰も来てないかな、苦手なあの人がいたら嫌だな、気になるあの人がいたら良いな、などと思いながら、角を曲がってライヴ喫茶 亀に辿り着くと、中は真っ暗で店主の姿無く、扉には鍵が閉まっていた。舌打ちひとつ、とんぼ返り、また来よう。

何もいりません。舞台に来てください。