手紙

こうした仕事をしていると、ごく稀にお客さんから手紙を頂くことがある。手紙でなくても、簡易なメッセージカードであったり、とにかくそうした言葉の紙を貰うと自分は、相手が同性異性に関わらず、なぜか胸がドキドキする。青春時代にラヴレターなど一通も貰ったことの無い自分だ。手紙というものにある種のロマンを持っているのだろう。

あれはいつだったか、我が店に一通の手紙が投函されていた。自分宛で、差出人の名は無かった。荘厳な封筒を開けると和紙便箋が三、四枚。びっしりと達筆で書かれた言葉は、我々の漫才への評価、褒め言葉、感謝の言葉、などで埋め尽くされており、いささか奇妙ではあったが、その熱意は伝わった。しかし差出人は不明で、性別も住所も分からず、シャイなのか何なのか知らぬが、おそらく手渡しするのは嫌だったのだろう、結局は返事も書けず仕舞いであった。

年賀状なども不精で書かぬ自分であるが、それでも稀に手紙を書くことがある。書き終わって読み返すと、大抵、あ、失敗した、と恥ずかしくなる文章なのだが、それもまた良いだろうと、敢えて書き直すことはしない。頭で整理してから書けば良いのに、自分の場合、手紙を書くという行為はある種の衝動で行うため、夜中に思い立ち、相手のことを想いながらサササと書いて、終わりである。手紙を渡すことにも慣れず、やはり照れ臭いのだが、相手に秘密を送るような感じがして楽しい。自分が貰って嬉しいものは人へもあげたいもので、メールとは違う、話し言葉ともまた違う、書き言葉のぬくもりと美しさを自分は知っている。内容がどうというよりも、手紙を書くという行為にこそ意味があるのだ。

一番面白かったのは、とあるオッサンから届いた手紙である。茶封筒を開けると、くしゃくしゃのルーズリーフが一枚。書き殴った文字は解読不可能で、マジで何て書いてるか分からん、古文書の如く難解な象形文字が並んでいた。勿論、住所や宛名も象形文字で、よく届いたな、と思った。最後の一文、ありがとう、だけがかろうじて読めた。きっと何かを感謝してくれたのだろう。

何もいりません。舞台に来てください。