美しい石

今は主催ライヴも生配信しているが、そのうち嫌になるだろうなと思う。今でさえ、やっぱり、本当のことを言うと、どこか抵抗がある。自分たちの舞台をスマホやパソコンで見ても、別にそんなに笑わないし、何だか虚しくなることの方が多いのだ。所詮はそのレベルのものでしか無い、ということである。だけど配信で楽しんでくれている人も僅かにいるので、その人たちのためにやっている。遠くに住む天使が見てくれるのは嬉しい。それに、もしかしたら配信で初めて見て、それが舞台に来るきっかけにもなるかもしれない(それはこのnoteも同じだ。読者よ、いつか舞台で!)。配信のお陰で利益も増えて、その分を出演者にも渡せる。デメリットは特に無い。だから別にやれば良い、はずなのに。

今までも、絶対にこうしたい、と、まあいっか、を繰り返してきた。ひょっとすると昔はもっと頑固だったかもしれない。それで、あんまり堅いのもつまらないから柔軟なタコのようにくぐり抜けてへらへらしようと思ったけれど、そう簡単にもいかず、異常な頑固さを発揮してキレたり、譲らず一歩も動かなかったりした。柔らかくするためお水と酒とでぐつぐつ圧力鍋にかけても、頭のどこかにまだ堅いスジが残っているのだろう、大して美味くはならず、やっぱり上手くはやれなかった。とはいえ、歳を重ねるごとにまぁと思えることも増えてきて、それこそ誰かが喜んでくれるなら、それはとても嬉しいことだ、あぁでも本当はちょっと、な気もするけど、でも、まぁまぁ、マ、なんて、無理矢理に平気な顔をしている場面も多々あり、最終的には、それでもいっか、と自身で納得していたりする。で、そんな自分がつまらなくて死にたくなる。凡人の私は、すぐに己の意思を曲げるし、何事も簡単に諦めてしまう。何となく、別に、と思いつつ、言いかけた言葉を呑み込んで、書きかけたメモを捨てる。それらを繰り返していると段々意識が薄れてきて、何となく幽霊気分になってふわふわ、そのうち何も言いたいことが無い、何もやりたいことが無い、ていうかマジで別に何でもいいんですけど!となり、うどんでも蕎麦でもラーメンでもええわとヤケクソ、食券機で同時押し、人生、だから何?ラララ風まかせ、と歌ってしゅるしゅる流れに流された私は、いつの間にか気の抜けた風船のように木の枝に絡まって皺くちゃになって萎んでしまった。何だかよく分からぬが、寂しいような気持ちになった。遠くで皆が手を振っている。笑っているように見える。きみだけが、笑っていなかった。

きみは、いつでも私の意思を確認する。きみはどう思うの?きみが決めなよ、って真面目な顔で私に言う。どうやらそれが一番大切らしい。だから私はポケットに仕舞ってある大切なものを取り出した。それは、美しい石だった。正確に言うと、私には美しく見える石、である。他の人からすると何てことの無い只の石かもしれぬし、汚れたゴミにさえ映るかもしれぬ。えらい大きい石やなと思う人もいればやけに小さいなと思う人もいて、石に見えず岩に見えたり砂に見えたり、中には全く何も見えない人もいる。だけど自分にとっては美しい、そして大切な石だ。誰が何と言おうと、これさえ大切にしていれば、何の問題も無いんだよ。うむ、私はこれからもこの石を大切にする。手のひらに載せた石を見たきみは、なにそれかわいい、と言った。


何もいりません。舞台に来てください。