悪夢のヤタイ

夜、店での仕事が終わった頃、連絡があって、鶴橋でTづらとO橋と落ち合った。サ店で三人、ごちゃごちゃとあること無いこと喋り合って、外に出れば23時、そろそろ帰りますかという雰囲気で駅まで行ったところ、もう少し遊ぼう、みたいな様子で、O橋がモジモジしたので、夜の路地裏をぶらつくか、と言って三人並んで歩き出した。

夜の鶴橋の路地裏は、犬の死骸のような臭いが漂っていて、辺りにはキチガイ地味た店も多いが、大半がもう閉まっていた。通ったことの無い道に出て、何もあらへんな、と言ったところ、目の前に灯りのついた店が現れた。古びた飲み屋のようなその店は、看板にはハングル文字、その下に小さく、ヤタイ、と書いてあった。勿論、屋台では無い。外にはメニューも何も無い、普通ならば完全にスルーするような怪しげな店だが、ヤタイ入ろか、と言って、我々は中に入った。

BGMも何も無い、完全なる無音の空間。小汚い店内には、四人掛けテーブルが二つあるのみで、そのうち一つでは、先客のおばはんが一人で濁り酒を飲みながらナムルのようなものをつまんでいる。もう一方のテーブルには灰皿と煙草と携帯とビール瓶が散らかっている。我々が座ると、奥から店のおばはんが出てきて、無言でテーブルを片付けた。紫色の袖無しダウンジャケットを羽織り、茶髪パーマで、顔面が大きく、化粧は濃い、韓国人のおばはんである。改めて店内を見渡すと、厨房と客席の仕切りが無く、実家のようである。また、壁にはハングル文字のカレンダーとハングル文字のメニューが掛けられている。あの、日本語のメニューあります?と声を掛けると、おばはんはこちらの顔を3秒凝視した後、ある、と言った。

メニューを持ってきたおばはんは、タラがおすすめ、タラ食べると良いよ、タラ好き?と、矢鱈と鱈を推してくる。表情ひとつ変わらぬ、真顔であった。鱈はいくらですか?と聞くと、沢山あるよ、タラ美味しいから、と無視するので、鱈はいくらですか?と、もう一度同じテンションで尋ねると、2500円、と言った。

油でギトギトの日本語メニューには、生ビル500円、瓶ビル500円、ジュス300円、ウロン茶300円、ジジミ800円、豚殻1000円、サムゴプサル1200円、海物鍋2000円、などの品目が書かれてある。とりあえず、瓶ビルください、と言うと、タラは?と言うので、タラは要りません、瓶ビルとジジミをください、と言った。おばはんは再び無言でこちらを凝視して、そのまま何も言わず厨房へ向かった。

瓶ビルを飲みながら、ジジミを待っていると、先客のおばはんが声を掛けてきた。このおばはんも韓国人のようだった。だいぶ酔っ払っているようで、話は支離滅裂だったが、我々は適当に相槌を打った。するとこちらのテーブルまで来たおばはん、良かったらこれ食べてえよ、と言って、細切れの烏賊が大量に入ったビニール袋を取り出すと、こちらの皿にどゅるどゅると出した。え?と言うと、また、別の袋から赤い味噌ダレのようなものをどゅるどゅると出す。おばはんは笑いながら、皿からこぼれた烏賊を手で掴んで皿に載せて、これ食べてみてえよ、と言った。我々三人は顔を見合わせて、ふふ、と笑いながら、食べよか、と言って、食べた。烏賊は、ぬるかった。

しばらくすると、ジジミが出来て、店のおばはんが持ってきた。ジジミは、美味かった。美味いです、と言うと、店のおばはんも嬉しそうに笑って、キムチも食べるか?と言うので、要らないです、と断った。瓶ビルをもう一本頼んで、飲んでいると、店のおばはんがキムチを持ってきた。手作りなのだから、と言っていた。先客のおばはんが笑っていた。

じゃあ、帰りますか、となって、立ち上がって財布を出す我々に、先客のおばはんが、わたしが出すからあなたたちは帰り、と言った。いや、いいですよ、と言ったのだが、おばはんは、良いから帰りなさい、と言って聞かない。店のおばはんが、あなた酔ってるよ、と客のおばはんを宥めた。客のおばはんは、良いから早くあなたたちは帰りなさい!と大声を出して、我々を押した。我々は店の外に出た。店内では、店のおばはんと客のおばはんが揉めているようだった。そしてなぜか取っ組み合いのような形になり、店のおばはんが、うわぁ、と言って壁に頭をぶつけていた。我々は、ご馳走さまでしたぁ、と言いながら、そそくさと店を後にした。

悪夢みたいやったな、けどタダで飯食えてラッキーや、などと言って歩いていると、走る音が聞こえて、振り向くと、店のおばはんが決死の形相でこちらに走り向かって来た。はぁはぁ、2000円、とおばはんは手を出した。我々は何も言わず財布を取り出して金を払った。おばはんは札を掴んで、店に戻って行った。血が凍るような思いをした。呆然と立ち尽くした我々はもう一度、悪夢みたいやったな、と呟いて、また今度ヤタイに行く約束をして、解散した。

何もいりません。舞台に来てください。