M-1グランプリ

世間の人は知らないかもしれないが、年末に行われる漫才の日本一を決める大会「M-1グランプリ」の予選はもう既に始まっている。今の時期はちょうど全国各地で一回戦をやっていて、それから二回戦、三回戦、準々決勝、準決勝、を経て、年末のテレビの決勝戦、といった長丁場に渡る熱き大会である。

出場資格にはコンビ結成15年以内、という規約があり、我々は何と去年で15年目、今年からはもう出る権利が無い。思えば最初に相方と漫才をしたのは高校一年のときであった。本格的に活動し出したのは高校を出た後、18歳頃からであるが、とにかくもうあの初舞台から、15年も経ってしまったのである。人生の半分かと思うと、愕然とする。

M-1グランプリは、我々にとっては、辛い、怖い、不安だらけの戦いであった。会場へ行くと、とにかく緊張感のある雰囲気で、それはもはやお笑いではなかった。普段は好き勝手に演っている人たちも、M-1グランプリのときだけは、きっちりとネタ時間を厳守、そしてコンプライアンスに適した内容の、洗練された漫才をする。我々も勿論、ストップウォッチで時間を計りながらネタを作り、挑んでいた。

戦績は、20歳の頃に一度だけ準決勝まで進めたが、それ以外はからっきし駄目で、せいぜい3回戦止まり、結局、優勝することは出来なかった。とはいえ敗退しても、涙を流すような悔しさは一切無く、やっぱり駄目かぁ、と情けない気持ちになるのみで、難しいなぁ、と他人事のように呟いていた。

そもそも、漫才とは、決して戦い合うようなものではない。ネタというものを採点することにすら、自分はむず痒さを感じる。M-1グランプリ以降、漫才師たちは皆一様に、競技的漫才、つまりは勝つ漫才を目指すようになってしまった。それは勿論面白いのだけれど、漫才師の心の内に秘めた勝ちたいという欲が浮き彫りになる以上、どこか笑えなくなってしまった。

出場資格が無くなった今は、敗北というものについて、より一層想いを馳せるようになった。そして、洗練されたウケ重視のものだけでなく、もっといびつで儚い漫才を、愛しく想う。決して勝つことの出来ぬ、それでいて滅茶苦茶に笑える漫才を、求める。初期M-1グランプリでの笑い飯がまさにそうであった。ただ激烈に面白いだけで、けれども決して勝つことは無かった。あの人たちが優勝してしまった時点で、M-1グランプリは終わったと自分は思っていて、それ以降は、再び漫才師たちの洗練された発想と技術、そしてその背後に見え隠れする情熱と暑苦しさばかりが目について、ちっとも面白くないのである。

今年も周りの漫才師たちはそわそわし始めて、楽屋などでも、M-1用のネタを試してます、M-1で勝つために、などの話題ばかりが渦巻く。自分は肩身の狭い思いをしながら、頑張ってねえ、と心にも無い言葉を吐きつつ、老犬の顔で舌を出している。

何もいりません。舞台に来てください。