おれの道

いつまでこんなことをしているのだろう。と、いつまでも思っている。自分は、今まで辿ってきた道、そして今いる道、これから行く道、それら全てが自分にとって、正しい道であった、正しい道であるだろう、とはどうしても思えない。

何だか、色々なことを間違えているような気がしてならない。けれども他にどうすることも出来ず、何となく風に吹かれているうちに、泥だらけのぶたはここに立っていた。複雑な迷路の途中、あれ?これ、多分間違ってる、かも…。ま、いいや!と思いつつ、後戻り出来ずに、前を向いている。

こうしたことを言うと、悲観的だ、自分のやってきたことを否定するのか、と言う人がいるが、断じてそんなことは無い。自分はあくまで楽観的であり、「間違えている(であろう)自分」を肯定し、受け入れている。間違いだらけの道で大いに結構、正しくないことを堂々とやっていけば良い。何が正しいか知らない、何が楽しいか知ってる、というロックな歌があったが、まさに、そのような心情である。

時折、私のやって来た道は正しかった、と真顔で仰る方がいるが、自分にはそうした人種が怖くて仕方無い。どうしてそこまで、自分が正しいと言い張れるのか、まったくもって理解出来ぬ。ただ、そうした人間に限って案外に精神は脆いもので、何かの拍子に道で転んだだけでしくしく泣いていたりするから不思議なものである。己が正しいと信じ込む人ほど、「己は正しい」と自分に言い聞かせて、また、周囲にそう見せることで精一杯なのかもしれない。自分などは、転ぶことが前提で歩いているため、転んだとて、泥付きで平然と笑える精神を持っている。

自らが正しいなどとは、決して思わなくて良い。何せ、こちらからすると、皆が皆、間違えているように見えるのだ。あんとき阿呆やったな、と笑える未来が来ることを、今はただ祈ろう。生活という名の、激烈な難易度の迷路は未だ終わりそうに無く、その難しさゆえに立ち止まることもしばしばあるが、おれの道、おまえの道、それぞれの道を、勝手なペースで歩めばええと思う。

何もいりません。舞台に来てください。