全国ツアーしたよ

結成20周年ということで、ヤング二人で桃鉄20年コースをやり、最後の年に目的地サイコロで出た場所でライヴをしよう!という企画。完全に夜中の阿呆な思いつきのアイデアであった。トークライヴ後に生配信で桃鉄20年のプレイを始めたが、先は長く、最後の年が来たときはすでに朝だった。どちらかがゴールする度に「次の目的地はこちらで~す」とサイコロが振られる。色々あってズルもしたが、ともかく運命のサイコロで出た場所は「幕張」「山形」「美瑛」「帯広」「盛岡」「五所川原」の6つであった。

果たしてライヴをするような場所はあるのか、金なんぼ掛かるねん、誰が来んねん、そもそもどうやって行くねん、など問題は山積みであったが、決まった以上はやるしかない、と訳の分からぬスジを通して己の首を締めながら、具体的な計画を進めた。各地でライヴが出来そうな場所を探して連絡しつつ、手伝ってくれそうな人も探してメッセージを送ったりして、段々と具体性を帯びてくる。大阪のお客さんに「全部行くつもりです」と言われたり、見知らぬ人から「地方在住なんですがヤング来てくれるの嬉しいです」といったメッセージも来て、そうなると自ずとモチベーションも上がり、我々とあなたのためにやるゾ、とワクワクした。

問題の金は、春にやった単独ライヴのグッズ利益やDVDを売り捌いた売上など、その辺りで埋めつつ、それでも足りない部分は貯金を崩した。交通費、宿代など考えれば余裕の赤字で、だが、やらぬという選択肢は無い。勿論ツアーと平行して、大阪や東京のライヴもあるし、我が店ライヴ喫茶 亀の営業云々もある、色々と切羽詰まるのは確かであったが、だからといって、やらぬという選択肢は無い。

無事に全て終わった。大人なので、ちゃんとその場所へ行くことが出来た。各地それぞれでライヴの内容も違ったし、当たり前のように全箇所来た人たちもいた。どんな場所でも漫才をすれば漫才になるので、OK。さようなら。皆それぞれお家に帰ってまた日常の世界へ。あくせく働き、金を貯めて、そんでいつかまた、どこかへ行こう。次はきみも一緒に来れば良い。サイコロみたいな人生も悪くないよ。自分にはやる前から分かっていたことがひとつあり、ツアーを終えた今、それは間違っていなかったな、と思う。

何もいりません。舞台に来てください。