ふたつ

自分の中には両極の欲望が渦巻いていて、ふたつある。あっちへ行ったらこっちを想って、こっちに来たらあっちを想う、と落ち着かない。その割に長年同じ相方と漫才をしているし、店も意外と長続きしていて、自分でもよく分からない。

たとえば一人でいるのが寂しくて、誰かに会いたい、と思う。けれども誰かがそばにいると、無性に一人になりたくなる。寂しさのあまり孤独を欲する、そんな気持ち、きみには分かる?天の邪鬼というより、自分の中にピュアなるふたつの気持ちがあって、どちらもれっきとした私なのだ。価値観が真っ直ぐ一本筋な男もいるが、私の場合は、いわば二本筋な男。SでありM、几帳面でありガサツ、臆病なのに大胆、真面目に不道徳、冷酷で義理堅く、目立ちたがりの恥ずかしがり…、何だかそんな感じ。ちゃらんぽらんの漫才やないねんから、ほんま、冷たい麺と熱い汁で食うタイプのつけ麺みたいな奴やな。けれども人というのは大抵そんなものではないか。内気な人ほど案外デリカシーが無かったり、強気な人ほど繊細で哀しみを知っていたりするもので、だから私も、ふたつの価値観で生きている。

意味や理由を探しながら、いかに無意味なことをやるか。ということを真剣に考える。私は、本当の本心で嘘をつく、とか、最高で最低なこと、可愛くて邪悪、みたいなものたちを頭の中でミックスしながら思考する癖がある。それは一見、不明瞭な世界と思うかもしれないが、そんなことは無くて、割と己の中でははっきりとしている。キレイはキタナイと呟きながら、眠くて眠らぬ暮らしは続いていく。

舞台においても、あなたを愉快な気持ちで笑わせたい、と思いつつ、あなたを不快な気持ちで苦しめたい、と思ったり、ウケることをやりながら、すぐにしょうもないことをやりたくなったり、する。最初から最後まで全てがウケるようなライヴが苦手で、全然気持ちが乗らない。所々スベっていたり、無駄な部分が欲しくなる。そういうライヴがしたいし、しなければならないとさえ、思っている。天使も悪魔も愛おしく、光も闇も見せたい。だから、我々の漫才やライヴではきっと、ベタで分かりやすい笑いもあれば、小難しい笑いもあるし、愉快でポップな笑いもあれば、陰湿で嫌味な笑いもあることと思う。それらは、無意識でそうなった、わけではなく、それなりに意識していることなのだ。決して芯が無くてブレているわけではないよ。私の考えるとびきり面白いことを、あなたに分かって欲しい。その面白いことの中には、とびきりしょうもないこともミックスされている。というわけさ。

何もいりません。舞台に来てください。