自分はリアルとファンタジーの両方を愛している。だから、放り投げた眼鏡を踏みそうになって慌てることや、拾ったどんぐりたちが笑っているように見えること、そうした出来事全てが、同じように愛しく感じる。どんな出来事も、つまらないとかキショいとか、一蹴するのは簡単で、だけど、都会だからといって夜空に星が無いわけでは無い。あのとき、あ!オリオン座が綺麗に見えますよ、とあの娘が教えてくれて、見上げたら、確かに真っ暗な夜空の真ん中、星たちがはっきりと輝いていた。自分は普段から俯いてばかりだから、それに目も悪いし、眼球も曇っているから、空や星にはあまり注目していなかった。オリオン座はしっかりと光を放っていて、それは、私にもきちんと見えた。たかが星、と思うかもしれない。しかし私はあのとき、星が見えたことがとても嬉しかったのだ。よく目を凝らして見なければ、分からないことが沢山ある。それはリアルでもファンタジーでも同じことである。裸の乞食が泣いているのは、寒いからでは無い。物事の本質は奥の奥の方に転がっている。そうして、あらゆる物事の行き着く先にあるもの、それは、寂しさ、ではないかと思う。己の寂しさをもっと大切に。私の寂しさときみの寂しさが手を取り合うとき、何かがぽんと生まれるような気がする。けれども、大抵の人にとっては、やはり、そんなことはどうでも良いことなのかもしれぬ。たとえば伸びてしまったうどんを見て、不味そう、なんて当たり前に言ってしまう彼や彼女たちにとっては、きっと、こんな話は関係の無いことだろう。

何もいりません。舞台に来てください。