最後の言葉

「子供」という言葉は、こ、ど、も、とoの母音が3つ続いている。「大人」はそうはいかない。o、o、と来ているのに、最後だけはaの母音となる。子供は真っ直ぐ無邪気に駆け抜けていくのに比べて、大人は少し立ち止まり、考えたり、待つことが出来る。ええっと、これがこうやから…。その思考や、また不安や葛藤が、言葉にも現れている。お、と、な。途中までは良かったのに。これこそが大人の弱さだ。子供は違う。oと決めたらoで行く。「こころ」は真っ直ぐだ。だからと言って、何も考えていないのかというと、そんなことは無い。子供だって様々なことを考え、企んでいる。「こ「ど」も」大人と違って中身が濁っているのはむしろ子供の方かもしれぬ。

男はどうだろう。お、と、こ、まるで子供と大人を足したような言葉である。母音は勿論、o3つ。スジを通すのが男ってぇもんよ!と言いながら、真っ直ぐに生きていけたら良いのに。女の母音はバラバラで、お、ん、な、と話にならぬ。あっちへ行ったりこっちへ行ったりして、いつまでも落ち着かない。だが、見くびってはいけない。「おとな」の中身が「ん 」になったのが、「おんな」である。母音が何よ、そんなものはどうでも良いじゃない、私はボインになりたいだけよ。などと口では言いつつ、ん…。女たちはいつも、胸の内に最後の言葉を抱いているのだ。

何もいりません。舞台に来てください。