蜘蛛の糸

学生時代の自分は、鬱屈とした日々を送りながらも、おれは他の奴らとは違うんだ、と精一杯心の中で意気がっていた。もしかすると、小学生の頃からそうだったかもしれぬ。とにかく他の奴とは違う人間になりたかった。周りが思い付かぬような何かを思いつく、凄い自分、画一的な色に染まらぬ自分、を常に思い描いていた。蜘蛛の糸という歌があったが、まるでそのような感じである。中学三年の頃などは、その思い上がりが如実に現れて、協調性の無い自分は、部活には入らず、宿題はやらず、音楽や小説に傾倒した。

同級生の音楽好きたちの間で、銀杏ボーイズ、バンプオブチキン、サンボマスターなどが流行する中、自分はレッド・ツェッペリンを聴いていた。これは完全に父親の影響であったが、当時の自分は同級生の前で「天国への階段」をギターで弾いて、おお、と言われてほくそ笑む中学生だったのである。後は、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、吉田拓郎、はっぴいえんど、そしてRCサクセションが好きだった。勿論、本当に好きで、のめり込むように聴いていたが、心のどこかでは、おれは君たちとは違うんだぜ、と妙に付け上がっていたことも確かである。

その頃はインターネットなど無縁で、携帯電話すら持っていなかった自分は、CDをTSUTAYAで借りて、MDに録音し、音楽雑誌を立ち読みする日々であった。小学校六年のときに買って貰ったヤマハのギターを、部屋でずっと弾いていた。たまに公園のベンチで弾くなどもしたが、一度ヤンキーに絡まれて、ちょお貸してや、と取り上げられて以降、公園で弾くことは止めた。いつかロックバンドで日本中を周りたいと夢想したが、技術もセンスも見てくれも、その全てが欠けていた。

高校生になり、年玉で中古のエレキギターを買った。初めて同級生とバンドを組んだとき、まずはコピーバンドっしょ、となり、ドラムの奴がバンプオブチキンの曲を演りたいと言い、ベースの奴がミッシェル・ガン・エレファントの曲を演りたいと言った。自分は、RCか、ビートルズが演りたかった。結果、「ガラスのブルース」「世界の終わり」「I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)」という、音色も演奏法もまるで違う3曲がレパートリーとなった。スタジオで、よく分からないのでアンプのゲインとボリュームをがんがんに上げて、歪みの爆音で演ると、歌が全く聴こえぬ、ただのうるさいパンクになってしまった。すぐにオリジナル曲を演ろうとなり、何曲か自分も作った。格好良い曲などひとつも無く、ふざけたような曲しか作れなかった。歌も演奏も下手糞であったが、デモテープを作ってライヴハウスへ持って行き、演らせて貰えることになった。

ライヴは勿論、散々の出来で、あほ~~と叫んでいるうちに終わった。最後に、バンド名と変な絵と自分のメールアドレスを書いた紙を客席にばら撒いた(高校生になった自分は遂に携帯電話を買ってもらったのだ)。ライヴの次の日に、一人の女性からメールが来て、何度かやり取りをした。彼女も高校生で、童貞の自分は心躍ったが、送られてきた自撮り写真はイゴール・ボブチャンチン(ウクライナの格闘家)に似ていて、好みでは無かった。時折、裸の写真なども送ってくれたので、性処理としては良かったのだが、会いたくは無いと思った。あるとき、自傷行為をしている、と自慢げに言われたのも、良くなかった。そういう女は嫌いやから、もう二度とメールしてくんなよ、と自分は非道なメールを送り、それきりとなった。

ライヴはその後も何度か演った。自分としてはブルースバンドのつもりが、ライヴハウスの店長からはコミックバンドだねと言われた。そのうち嫌になって辞めた。同時期に、全く別口で、同級生とたまたま演った漫才が評価されて、テレビに二回出演した。高校生になってバンドなんてやる奴は普通だ、おれは漫才をやる、と思った。結局、今も漫才を続けている。

何もいりません。舞台に来てください。