泥と愛

私の薄汚れた心は、もう、どうしようも無い。これでも自分なりに一生懸命生きてきたつもりで、時には人に感謝されることもある。けれども、結局のところは、泥まみれであった。ど、ど、どろまみれのこころー。いつか誰かにしばかれるような気がする。

私は、誰かのために、真剣に、何が出来るだろうか。「きみは、とっくに色々な人たちを救っていますよ」と言われたことがある。そうなのかもしれない。だが、同じくらい、もしくはそれ以上に、色々な人たちを傷付けてきたのも事実である。

傷付いた人は、その理由を、滅多に言わぬ。誰かの言動で傷付けば、ただ受け入れて、こっそりと涙を流す他無い。けれども、傷付ける側は、そんなつもり、更々無いのだ。他人を傷付けずに生きていくことは非常に難しい。大抵の人は、己が傷付くことには敏感である反面、他人を傷付けることには鈍感で、己の傷口ばかりに目をやる。自分はこれまでどれほどの人を傷付けてきたのか、計り知れない。全部冗談にしてしまいたい。笑い飛ばしたい。それなのに、祈るように泥をはらったのに、すぐに忘れて、また間違える。オー!ジーザス・クライスト。

「サイテー」「冷酷な奴だ」「無慈悲人間め」「他人に興味が無さすぎる」「人の気持ちを理解できない」「うそつき野郎」「変態」「ずるい」「口臭い」…ぎゃあ!寄ってたかって、ぼくを傷付けるのはやめてくれ!

不幸ぶるのは止そう。自分は決して不幸では無い。己のいやらしさに反吐が出るだけだ。ふざけた言葉で誤魔化してすぐに取り繕ってしまう。己が休まる場所をしたたかに作り上げてしまう。それなのに、積み上げたものを全て破壊して台無しにしたくなるのは、どういうわけか。

泥の心を持つ私は、今まで何度も沢山の言葉に救われた。神様はいる、きっといるゾ!と思った瞬間が、あった。駅前で、やせっぽちの天使を見たこともある。マジだよ。数々の言葉を決して忘れることは無いだろう。イエスは神の代弁者で、我々に救いの言葉を掛けてくれる。では、私は、心を込めて、あなたに、何を伝えられるだろうか?

「あなたの傷が少しでも慰められるのならば、私はぶたにでもなれるだろう。自慰ザス、ザーメン」

イエス曰く、最後に残るものは、愛、らしい。あらゆるものの中で、それは最も強く、それは最も美しいものだという。私は最近、ずっと愛について考えているのです。せせら笑うでない。マジのマジに、愛について考えたことありますか?本気で誰かに、愛をぶつけたり、ぶつけられたり、したことありますか?求めるばかりで、与えたことありますか?一度くらいは真剣に考えてみた方が良いですよ。わたしは真悟という漫画、あれを読めば、大体分かります。映画ならば、愛のむきだし。あれを見れば、大体分かります。最後に残るものは、愛。ラヴ。アムール。それは、愛。それは、最も強く、美しいもの!伝えなければ伝わらぬ。

拍手。着席。で?あなた、さっきから…それ、何持ってるんですか?ちょ、見せて。…なるほど。よし、おれの泥もちょっと分けてあげる。

何もいりません。舞台に来てください。