彼ら

自分の作る漫才には色々な種類があり、その中のひとつで、物語の漫才というものがある。

我々は新ネタを作るペースが非常に遅く、月にひとつでも出来れば良い方なのだが、サ店で相方とウンウン唸って、どんなんしよか、題材か会話か物語か、ウーン、などと言いながら、結局何も浮かばずにぬるい珈琲を啜るだけの夜も当たり前にある。逆にネタの骨組みさえ決まれば、後は一時間程度で出来上がることもある。「題材」というのはその名の通り、まずお題から考える漫才のことで、たとえばゴリラならば、ゴリラについての漫才を考える。「会話」というのは、相方との二人の話、たとえば「お前、おれに言うてないことあるやろ」「え、いや無いけど」「おれには全部お見通しや」といった、二人の関係性を軸にした漫才。そして「物語」というのは、自分が体験した日常のフィクションを相方に話す、という類のもの。勿論この三つ以外にも様々な漫才があり、また、手法も様々ではある。

物語の漫才においては、いわゆる、ネタ合わせ、というものをほとんどしない。基本的に、自分が喋る話を相方が聞いて何だかんだと横槍を入れる、というパターンのため、特に事前練習をする必要が無いのである。また、聞き手である相方においては、あくまで自然なリアクションとツッコミが求められるために、物語の細部に関しては事前に伝えないことの方が多い。台詞の比重としては圧倒的に自分の方が多く、また、物語についての構成とディティールを作らなければならないので、自分の方が大変な労力を要する。いつも不安になるのだが、その反面、本番前の相方は、ま、いけるやろ、と、何故かいつも自信満々である。人の気も知らずに、平気で大丈夫などと吐かす。

さて、物語の中には大抵いつも登場人物がいて、それはおっさんであったり、老婆であったり、オカマであったりするのだが、自分は彼や彼女らのことがとても、とっても愛おしい(自分で作ってんから、そりゃそうじゃ)。どいつもこいつも、阿呆で、インチキで、胡散臭くて、純粋で、どうしようも無い人間ばかりなのである。

自分が今通っているマナー教室、講師の小田嶋礼子先生は、眼鏡でスーツ姿のお固い女性である。愛犬のマナー犬・バレットとともに授業を行うのだが、礼儀を重んじているために、生半可なことでは動揺しない。厳格な人である。けれども授業中、生徒である自分と、マナベというヤンキー青年にからかわれて、礼子先生は時折顔を赤らめる。その様子が可愛らしい。礼儀を学び、段々と更生していくマナベは、そのうち礼子先生に淡い恋心を抱き…。

と、ここまで書いてみたが、何のこっちゃ分からないと思う。我々の漫才で、そういうネタがあるのだ。そして自分は、礼子先生やマナベに多大なる愛情を感じていて、公園でぼんやりしているときなど、彼らのことを思い出して一人でニンマリするほどに、愛おしいのである。

中には、フィクションが現実世界とリンクしてしまうこともある。我々のネタで、とあるスーパーの物語、過労死した従業員の人肉がパック詰めにされて売られている、という悲惨な話があるのだが、あるときそれに近いニュースを見た。海外の飲食店のオーナーが殺人を犯して、その人肉を調理して客に提供していたというのだ。これには驚いた。また、JPという名の後輩芸人にまつわるネタがあるのだが、これもまた、あるときテレビを見ていたら、JPという名の物真似芸人が出演していて(結構有名な方らしい。知らなかった)、自分は、JPほんまにおるんかい、と呟いた。

最低の下の底の裏を行くようなものも好物な自分は、不道徳なことや下品なことも考える。ひどい結末の話もあるが、いや、こいつには幸せになって欲しいな、と思ってハッピーエンドに変えたりすることもある。結局は愛。どれだけの愛情を持っているか、なのです。彼らのことをもっと沢山の人たちに知って貰いたい、とは正直そこまで思わないが、いつか、きちんとした形で残したいとは思う。

何もいりません。舞台に来てください。