招福猫

去年出来た近所のつけ麺屋に自分は二回ほど行ったのだが、いつ行ってもお客は自分一人だった。大将は若めの角刈り、真面目そうな人で、店内の雰囲気はややダサい、壁もカウンターも白一色で殺伐としていて、メニューはいかにもワープロ的な丸ゴシック体の太字フォント、全体的に何となくモッサリした店である。けれども、つけ麺は美味かった。大将の熱意を、自分は麺とスープに感じた。実直に続けていれば、いずれ繁盛するだろう、今は辛抱のときだ、と思った。初めに行ったとき、会計の際にスタンプカードなるものを渡されて、そういう類のものに興味の無い自分はそれをすぐに捨てたのだが、二回目に行ったとき、また会計の際に新規のスタンプカードを渡された。どうせまた捨てると思った自分は、要りません、と言い、大将は少し悲しそうな顔で、ありがとうございます、と言った。

それからしばらく行っていなかったのだが、先日久しぶりにつけ麺が食べたくなり、その店に行った。すると外に「中華料理 四川料理 餃子 ラーメン つけ麺」と、明朝体でど派手に書かれた巨大看板があった。店の名前は同じである。なるほど、つけ麺だけでは厳しくなり、大将も少し幅を広げたのだろう。よくあることである。しかし、中華、四川、…と並んで、つけ麺が最後に来ているのは、何となく寂しい気もする。というか、この並びだと、つけ麺、が逆に浮いてしまっているような気もする。

中に入ると、店内の様子も以前とは大幅に変わっていた。カウンターはそのままであるが、全体的に赤を基調とした雰囲気、壁は中国語のメニューボードで埋め尽くされて、棚には紹興酒やチンタオビールの瓶がレイアウトされている。頭上には中華的なキラキラ装飾の赤い布がぶら下がっており、そして、相変わらずお客は誰もいなかった。というか、誰もいない。無音の店内で、自分は一人カウンターに座って、すみませーん、と言ったが、誰も出てこないので、煙草に火を付けた。夢の中にいるような、そんな心持ちがした。

しばらくすると大将が現れて、すみません、いらっしゃいませ、と水とメニューを出してくれた。相変わらずの角刈りで、別段変わった様子も無かったので、少し安心した。メニューを見ると、品数が矢鱈と多い。本場四川の麻婆豆腐が一番のメインで書かれており、餃子や青椒肉絲や天津飯、豆料理や腸詰めなどもあり、肝心のつけ麺は、下の方に申し訳なさそうに書かれてあるのみだった。もしかすると大将、もうつけ麺への熱意が消えてしまったのかもしれない。それでも食べたいので、あの、特製つけ麺、大盛りで、と言うと、大将は嬉しそうな顔で、喜んで、と言って麺を湯がき始めた。何だ、良かった。

さて、麺の茹で上がりを待っているときである。入り口ドアが開き、珍しくお客が来たのかと思い視線を移すと、そこに立っていたのは、ケバケバしい化粧の女性と幼稚園児ほどの娘であった。そして二人は何やら外国語を話しながら、そのまま厨房まで入って行ったのである。おそらくチャイニーズであろう、その女性は小声で大将に、ナンカワカンナイネ、ワカンナイヨ、などと言っている。麺を茹でながら、うん、うん、そうだね、と頷く大将。チャイニーズは真剣につけ麺を作る大将の隣で、冷たい目をしながら、ダカラ、モット、アタシハ、など言いながら、壁にもたれ掛かっている。挙げ句には煙草に火を付けて、何だか気怠そうな雰囲気である。幼稚園児くらいの娘は、アイーーとか何とか騒いでいる。自分はどことなく、嫌な気持ちになった。

その内につけ麺が完成し、大将は笑顔で、どうぞ、と出してくれたが、額はなぜか汗びっしょりで、出した途端に暗い顔に変貌して、そのまま厨房の裏へチャイニーズと引っ込み、二人で何やら会話を始めた。ダカラ、でもやっぱり、アタシ、そうだね、ソウダロ、分かったから。どうも楽しそうな会話では無い。それに何となく、お客の自分が邪険に扱われたような、置いてけぼりにされたような気がした。娘が、アーーウーーなど言いながら厨房を飛び出してきた。私は今からつけ麺を食べるので邪魔しないでください、と中国語で言おうかと思ったが、勉強不足で何も言えなかった。つけ麺は美味そうである。食べれば、やはり美味かった。けれどもそこらで騒ぐ娘、厨房の奥から漂う不穏な会話、が気に掛かり、結局最後まで良い心地はしなかった。

食べ終わる頃には、チャイニーズもエプロンを羽織り、一店員として、水を入れてくれた。暇そうに立ちながら、時折娘と笑い合っていた。大将は厨房で仕込みをしている。会計の際はチャイニーズに900円を払った。アリガトゴザイマス、と言って釣りと共に渡されたスタンプカードには、不気味な猫が描かれており、招福猫、と書いてあった。要りません、と言ったが、?の顔をされたので、それ以上何も言わずに、ポケットに仕舞い込んだ。

何もいりません。舞台に来てください。