つまらないミュージカルと黒財布

「大きめのホール会場で、つまらないミュージカルを見ている。出演者が皆ずっと笑顔で、気味が悪い。舞台の端ではドリカムのベースの人が満面の笑みで踊っている。自分は途中で外に出ようかと思う。しかし、公演中に席を立つのはマナー違反かと悩む。けれども、そのくらいの酷さなのだぞ、と出演者たちに分からせるためにも、自分はあえて音を立てて席を立ち、ズカズカと外へ出る。

会場の外は雨上がりで、路面が濡れている。自販機で珈琲を買おうとお札を入れると、珈琲が20円で、お釣りがジャラジャラ出てくる。なぜか全て5円玉なので、お釣りが路面にも溢れ出てくる。濡れた砂利に散乱した5円玉を拾い集める。

道端に、誰かのコートと皮靴とビジネス鞄が落ちている。何だか事件の匂いがする。コートのポケットから黒財布がはみ出ている。自分は、あッ、と思って、黒財布を手に取り、こっそり中身を確認すると、10万円以上は入っている。震える。盗むかどうか、迷う。辺りには誰もいない。一旦、黒財布をコートに戻して、ホールロビーに戻り珈琲を飲みながら考える。やっぱり盗もう。自販機前に戻ると、浮浪者が黒財布を手にニヤニヤしている。それぼくのなんですけど、と言うと、浮浪者は驚いた顔で逃げていく。自分は、やはり盗むのは止めよう、と決心する。黒財布を手に交番を探す。交番を見つけて、中に入ると若い警官がいて、財布を拾いました、と言うと、疑いの目で、盗もうと思わなかった?本当に?一度は盗もうと思ったでしょ?と言われて、焦る。」

31歳の誕生日の夜に見た夢である。財布を拾って交番に届けるという、我ながら道徳的な、逆芝浜的な、夢にも関わらず、後味は悪かった。

Twitterを見ていると、ゾゾタウンの社長がお年玉キャンペーンと銘打って、自分をフォロー、リツイートした人の中から、100万円を100人に配る、合計1億円のお年玉、という旨の呟きをしていた。フォロー、リツイートなど、指先ひとつで出来る。たったそれだけで、ゾゾタウンの社長が見ず知らずの自分に大金をくれるかもしれない。社長の呟きは、とてつもない量のリツイートがされていた。金に目がくらんだ世間の狂騒ぶりに、吐き気がする。

しかし、100万円である。それだけあれば、自分も、借金返済は出来るし、温泉にも行ける。ゾゾタウンの社長に対しては、嫌悪も好感も無い。勿論、敬意も恩義も無い。これはいわば、単なる大金持ちの余興である。けれども、やはり、リツイートしてはいけない。指先ひとつで100万円を手に入れるチャンスがあったとしても、代わりに、色々なものを失うかもしれない。

たとえば自分の惚れている女性が、この呟きをリツイートしていたら、自分は途端に冷めてしまうだろう。そして仮に100万円が彼女に当たったとして、社長最高!ありがとうございます!などと叫んで喜んでいたとしたら、自分はきっと虚しくなるだろう。なぜなら、それは、彼女が、乞食以外の何者でも無いからだ。宝くじとはわけが違う。一人の大金持ちによる、狂気の沙汰なるマスターベーション。それに加担する乞食には、なりたくない。しかし、100万円、タダで貰えるならば欲しいに決まっている。それは至って純粋な願いであり、人間の本質的な欲望に違いない。そもそも、呟いた社長も、リツイートする世間も、ちょっとしたお遊びの気持ちである。誰も本気で乞うているわけではない。お正月の、お祭り的なラッキーイベント。それなのに、たったの100万円で、あれこれと思考してしまう自分が、情けなく、小さく思えた。

そうしたイメージが夢の中に現れる。ミュージカルの笑顔は、世間の嘘くさい笑顔だろうか。5円玉を集めるケチな自分は、ゾゾタウンの黒財布に惑わされる。若い警官の指摘は正しくて、何より浮浪者はいつも純粋なのだ。

何もいりません。舞台に来てください。