社会と言葉

自分はきっと自分の人生についてきちんとマトモに考えたことが無い。そのうち死ぬのだから、それまで自分や周りの大切な人たちがそれなりに幸せな感じでやっていけたら素晴らしいじゃん、くらいにしか思わない。すっかり大人のくせに、まるで情けない人間である。自分の人生についてマトモに考えもせぬ奴が、世の中やこの国の行く先について真剣に考えたことなど、あるわけが無い。昔、友達に、お前は今まで会った人間の中で一番社会性が無い、と言われたことがある。そのときは社会性というものが何なのかよく分からなかったのだが、今思うと、確かに自分は社会性は無い方だと思う。社会の仕組み、世の中の流れ、ニュース、政治などにまるで無知であるし、さほど興味も無い。社会の役に立つどころか、社会の中にもイマイチ入れているのかよく分からないレベルである。一応税金を納めたり健康保険を払ったりしているから、大丈夫なのだろうか。信号無視したり、立ち小便することもあるけれど、大丈夫なのだろうか。何も見えない自分は、彼らが何を考えているのか分からない。何故怒り、何故泣いて、何故喜んでいるのか、いまいち理解出来ない。皆、本気なのだろうか。本当は皆も、世の中のことなんて結構どうでも良かったりするのだろうか。

この言葉で果たして何を伝えることが出来る。自分は、言葉で社会を変えられるとは思っていない。しかし、社会を作り上げるのは言葉だとも思う。そして、言葉によって、誰かの心や愛を育むことや、誰かと通じ合うことは、きっと可能だよね、と願っている。

何もいりません。舞台に来てください。