支援のこころ

自分のnoteに、「スキ」をしてくれる人がいるが、中には時折「サポート」をしてくれる人がいる。

「サポート」というのは、あなたのnote結構おもろいのでお金をあげますわ、というシステムで、「〇〇さんがあなたをサポートしました。千円くれましたよ。」といった通知がこちらに来る。頼みもしていないのに自分の駄文にお金を払う、奇特な人がいるものである。

無論、このnoteを有料にする気などは微塵も無い。ビジネスツールにするなど、以ての外だ。あくまで舞台が主戦場であり、今後もnoteには暇潰し程度の気持ちで、生ぬるく書くのみ。この出鱈目で非高尚な文章を読んでくれた人と、いつか舞台で会えたら幸い、としか思っていない。

しかし、自分は昔から乞食根性の強い人間である。飯奢るよ、と言われたら怪しげなおじさんにもついて行くし、合法の草あるけど吸う?と差し出されたら、当たり前のように吸う。祖母の家に行って、帰り際、なんか美味しいものでも食べ、と言って渡されるお小遣いに、いやいや、ええよそんなん、と言いながらも、しっかりとお札を握りしめて離さないような男である。好意で頂くお金に、何の躊躇も無い。わ~い!と喜ぶ、野良猿野郎なのだ。

「サポート」というのは、つまり、支援、ということである。考えてみれば世の中は支援で成り立っていて、新社会人を支援したり、障害者を支援したり、政治家を支援したり、もしかすると、多くの人たちは心のどこかで「誰かを支援したい」と思っているのではないだろうか。自分は誰かを支援したいと思ったことも無ければ、おそらく、支援したことも無いので、だからその辺りの「支援のこころ」みたいなものがあまり分からない。

ただ、以前、ウォンバットzineという自費出版の雑誌(ウォンバットとは至高の生き物かつ地球上で最もかわゆい生き物)を600円で買った際、売上はウォンバットの保護団体に寄付します、と言われて、最高、と思った自分がいた。自分が稼いだお金でウォンバットが保護されるならば、こんなにも嬉しいことは無い。それこそが、支援のこころなのかもしれない。

誰かがサポートしてくれたお金は、自分のnote上に貯金されていくシステムのようである。貯金されたお金をどう引き出すのかは未だに謎だが、振り込んでくれた人の支援のこころを無下にするわけにはいかぬ、というわけで、自分はnote貯金をしようと思った。note貯金が貯まれば、いつか舞台スーツでも買おうか。もしくは、その資金でnoteにまつわるライヴを行う、か、もしくは、城崎温泉にでも行く。

何もいりません。舞台に来てください。