ぼくはへいき(哀願乞食)

とほほ。ここに来て、完全無欠の金欠になってしまった。笑っちゃう程に金が無い。収入がほとんど無いのだから、当たり前である。わずかな生活貯金も、もはや底をつきかけている。自分がJKならば使用済みパンツなどを売って生き延びるのだが、残念ながら自分はオッサンである。誰もしなびたパンツなど買ってはくれまい。

小銭を拾い集めて、煙草を買い、腹を空かして、徘徊している。耳鼻科にも行けない。寿司屋にも行けない。お洒落な帽子もチークも買えやしない。米粒ボーイが通りを歩くぜ。とほほ。けれども、実のところは、まったくもって平気なのだ。どういうわけか、痛くも痒くも無い。今日は何をしようかナ、と鼻歌交じりの自分は、根っからの楽天家、もしくは単なる阿呆であった。へいき!

その昔、自分はひと月の生活を12,000円で乗り切ったことがある(家賃と光熱費は除く)。一日あたりわずか400円の計算で、毎日をカレーライスとお絵描きで凌いだ。その暮らしはさほど苦痛では無く、自分は己の貧困を楽しんだ。むしろ金の尊さが身に沁みて、いつもの空が美しく見えたものである。

貧しくても、心は豊かでいられる。また、空想に頼ることが出来る。空想は、何と今なら永遠に無料、年会費も更新手数料も要りません。それでいて、たとえば空想の寿司屋で空想寿司を食う、といったことが可能なのです。あなたもこの機会に一度空想してみませんか?金があれば現実の寿司を食いに行けるので空想寿司を食う必要はありません。しかし、現実寿司ではなく空想寿司を食うことで生まれる「何か」は確実に存在するのです。世の中には、金があるにも関わらず空想寿司を食っているような変態セレブもいます。また、貧乏な癖にちっとも空想寿司を食わず現実寿司ばかり食いたがるリアリストの糞だるまもいます。さあ、あなたはどちら?始めるなら今。有限会社「イマヂン・カンパニー」より。

有限なんかい。そこは無限やろ、と言いつつ、自分もイマヂン・カンパニーに加入している。

確かに、金が無いからこそ、始められることがある。舞台にしても、「金無いし、それをライヴに出来ひんやろか」という思いつきから生まれたもの、たとえば我々がやってきた「亀移転計画」は、まさにそうしたライヴであった。もしも移転する金がたんまりあれば、思いつきもしなかっただろう。自分は大丈夫。金は無いが、家庭もカーテンも何も無い。誰にも何も言われない。空想寿司があれば、生きていける。つまり、大した貧困では無い。

ぼくはへいき。もうすぐまた店も始めるし。床とか壁とかペンキで塗ったし。ステージとか運んだし。何もこわくない。なんてったって、ぼくは凄いのだ。その証拠に、見てごらん、街が少し暖かくなってきただろう!ぼくのお陰さ。だから大丈夫。流行り病もきっと落ち着く。花だって咲くよ。心配はいらない。何もかもが、うまくいく。もしもきみが病にかかったら、そのときは、ぼくがそばにいてあげる。ぼくは死ぬまできみの味方だ。嘘じゃない。涙をお拭き。こっちにおいで。顔をあげて。さあ、せえので一緒に立ち上がろう。ね。にっこり笑ってごらん。そんで、ぼくにお金を恵んでおくれ。もしくは、寿司を奢っておくれ。頼むから…。

何もいりません。舞台に来てください。