何してる人

昔、我が店で友達とワインを飲んだりギターを弾いたりして遊んでいたら、一人の怪しげな風貌のおっさんが来店した。そのおっさんは、知り合いの知り合い、みたいな人らしく、来るなり自分語りを始めた。私は占いを長年やっており、前は心斎橋で店もやっていた、有名人を診たこともあるのだよ、良かったら診てあげようか、などと語り、自分と友達は話半分で聞きながら、適当に、へえ、そうすか、別にいいです、などと相槌を打ったのだが、おっさんはこちらの様子に目もくれず、自分語りを続けた。そもそも初対面で聞いてもいないのに自分語りをしてくる人間自体、自分は苦手なのだが、おっさんはそれに加えて、偉ぶった雰囲気が身体中から溢れ出ていた。嫌だな、と思った。そして散々語り散らしたおっさんは、我々をじっと見つめた後、で、きみたちは何してる人?と質問してきたのである。

自分は、まぁ色々、と言葉を濁した。あまり好きでは無い質問であった。友達はよっぽどムカついたのか、そういう質問嫌いですわ、とはっきり言った後、ぼくらは生活してます、と言った。痛快な返事だった。おっさんは、あ、そう、いや、何かギターとか弾いてるし、音楽とかやってる人かな、と思ったのでね、と気まずそうに笑っていた。

初対面の人同士のコミュニケーションとして、何してる人ですか、は単なるきっかけ作りの質問かもしれぬ。ただ、よく考えると、何してる人、とは、おかしな言葉である。それに、おっさんの言い方は、もう少し調子に乗った感じの、どこか優劣を付けるような言い方に思えた。確かに、我が店には、舞台に立つ人や、小説や詩を書く人、絵を描く人、などが来ることも多い。だが、それだけでは無く、会社勤めの人や、様々な仕事をしている人、学生や、無職も来るし、それに舞台に立つ人も年がら年中舞台の上に立っているわけでは無く、普段は内職をしたり工事現場で鉄骨を運んでいたりする。つまり、皆それぞれが自分の生活をしていて、そこに優劣など無い。そもそも、何をしている人間か、と聞かれたところで即答出来るものでも無いし、初対面の怪しいおっさんに、自分が何者であるかなど伝えたいとは思わない。

これはまた別の話で、時折遊びに来る知り合いの女性がいて、彼女は肩書きに憧れると言った。何か肩書きがある人間になることが夢らしく、はっきり言ってしょうもない夢だな、と自分が言うと、あなたは漫才師と名乗れるから良いじゃないですか、と言われてしまった。確かに、私は〇〇です、と簡潔に言える何かがあれば、色々と楽なのかもしれぬ。本当はそんなもの、全くどうでも良いことで、大切なことは、その人がどんな人間なのか、何を愛して、何を信じて、何を楽しみに生きているか、だと思うのだが、それでも、私は仏師です、と言われたら、何か凄い人かなと思ってしまうし、私はコトノハ・アーティストです、と言われたら、うわあ胡散くさ、と思ってしまう。仏師はともかく、コトノハ・アーティストなんて名乗る時点で激烈に萎れた感性の人間であることは間違いないのだが。

彼女にどんな肩書きが良いのか尋ねると、今はブログで文章や詩を書いているから、物書きと名乗りたいが、これからは詩人を名乗ります、と言うので、自分は皮肉を込めて、ファッション詩人というのはどうですか、と言うと、あ、それ良いですね、と採用されてしまった。

何もいりません。舞台に来てください。