しんでる

五月山動物園のウォンバット(可愛ゆい、尊し生き物)のマルちゃんが亡くなったと聞いた。先日、自分が動物園へ行った際も、マルちゃんは小屋から出てこず、その姿を見ることは出来なかった。彼女は自分の推しウォンでもあるフクくんの嫁さんである。何とも悲しい出来事であるが、生き物ゆえに死は免れない。残されたフクくんは、さぞ落ち込んでいることだろう。それでも、枝をガジガジ、お尻をボリボリ、していてくれたら良いのだが。

自分は、死ぬときは断然、独りきりが良い。誰かに死ぬ瞬間を見られることがとても恥ずかしい。発見したときには、もうしんでる、が良いのである。息絶えるかどうか、その時が来れば自分はどこかへ隔離されたい。そのまま砕け散って灰になれれば良いのだが、なかなかそういう訳にもいかぬだろう。

人の死ぬ瞬間を見たのは、生涯で一度しか無い。

母親は、自分が10歳の頃に病気で死んだ。まだ若かった。マザコンであった自分は、病室で管を通された母親を見て、いやだいやだ、と思ったが、何も言わずに涙を堪えた。死ぬ瞬間は、ドラマでよくあるように、機械がピーで、医者の、何時何分ご臨終です、といった感じである。父親も姉も阿呆の如く泣いていた。自分は、一切瞬きをせずに、母親の死に顔を目に焼き付けた。そうして家に帰って布団の中でこっそりと泣きながら寝た。通夜、葬式が終わってからは、これからの暮らしがどうなるのか不安で、自分はもう幸せにはなれないような気がした。子供時代の自分は、生活の大半を母親頼りに生きていたのである。結局、すくすくと育った。

完全に、面白い女性だったと記憶している。お茶目でお喋りで、すぐにふざけた。よく、おしり触らせて、と言ってきて、自分の尻をわさわさと触った。触るどころか、噛んでくることもあった。噛ませて噛ませて、と言って息子のパンツを脱がし、その小さな尻にかぶりつくのである。その代わり自分には二の腕(自分は冬場に冷たくなった母親の二の腕が無性に好きだった)を触らせてくれた。

友達と部屋でゲームをして遊んでいると、襖が少しだけ開いて、母親が覗いている。何?と言うと、楽しそう、私もまぜてよー、と可愛こぶる。あっち行けや!と怒鳴る自分に、こわぁ、と言って母親は襖を閉めるのだった。お前のおかんおもろいな、とよく言われた。友達が帰ったあと、母親は、なんであんな冷たくするん、なあなあ、友達の前で格好つけたかったん、と言い、自分は照れながら先程怒鳴ったことを謝るのだった。バレンタインに自分がチョコレートを貰って帰ったときも、分かりやすく拗ねた。勿論、冗談混じりに演じるのである。母親の前では、自分は常にツッコミであった。チャーミングな母親であったが、怒ると怖かった。背が高く、美しい人だった。また、気が強く、曲がったことを嫌った。嘘つきだった自分はよく叱られた。

時折考えるのは、もし母親が生きていたら今の自分をどう思うのだろうか、ということである。昔の面影の通りの母親ならば、こっそりと舞台を見に来て、後でメールなど寄こすのかもしれない。そして、いつまでも怠けてサボっている自分を、こっぴどく叱るに違いない。もうしんでるけど。

何もいりません。舞台に来てください。