みじめなぼくら

敬愛するウディ・アレンは映画の中で「人生は、悲惨かみじめ、そのどちらかしかない。重い病気に掛かったとか、怖い事故に巻き込まれたとか、そういう人は悲惨かもしれない。それ以外の人はみじめ。そう思うと、みじめなぼくらは幸運なものさ。感謝しなければ」と言った。

みじめなぼくら。ウディ・アレンが言うのだから、きっとそうなのだ。自分は、やさぐれそうになったとき、この言葉を思い出す。一見ネガティブな雰囲気の言葉であるが、同時にこれは救いの言葉でもある。

ウディ・アレンは元々コメディアンで、若い頃からそれなりに売れて、映画監督になってからも、数々の賞を取って、今やハリウッドの巨匠、なおかつ現役で、周りからもちやほやされる大金持ち、であると思うのだが、そんな彼が、人生はみじめだと言う。自分はウディ・アレンの映画が好きで、過去の作品はほとんど見た。頭髪が薄くて、貧弱で、背の小さい、その癖に口は達者で、ジョークを愛し、飄々としている彼の姿は、とてつもなく格好良く思えた。けれども彼はいつもどこか自信無さげで、みじめな顔つきをしている。

ウディ・アレンの私生活は変態そのものであった。内縁の妻(彼の映画でよく主演をしていた女優)との間には養子が何人かいたのだが、その中の一人、21歳の韓国人娘とデキていたそうだ。極めてロリコンであった彼は、結局妻とは離別し、35歳下のその韓国人娘と結婚した。それ以外にも、7歳の女児に性的イタズラをしていた(彼は否定している)など、過去の変態行為が浮かび上がり、昨今の、女性が受けたセクハラやパワハラを訴えるミー・トゥー運動というものに駆り出され、私は昔アイツにこんなことをされました、などといった告発が続出、猛バッシングの標的となり、前妻との間に出来た実の息子(ウディ・アレンとは似ても似つかぬダンディーなイケメン。本当の父親はフランク・シナトラだといわれている。)からも、アイツはサイテーだ、と糾弾されて、配給会社とは訴訟沙汰、というところまで来ている。御年84歳。みじめなものである。

そうした中、ウディ・アレンは今もなお新作映画を撮り続けている。作品はどれも、ロマンチックな恋愛映画や上質なコメディー映画である。次々と物語を生み出して、あぁ、彼はおそらく死ぬまで映画を撮り続けるのだろう。みじめの中にも、映画への熱情と気の利いたジョークだけが、変わらず溢れている。

何もいりません。舞台に来てください。