脱走

夜中に帰宅する途中、公園に寄って良い感じの落ち葉を拾った。我が家の相棒、沢蟹のかにくんに、ささやかなプレゼントをしようと思ったのである。しかし帰宅して水槽を覗いたら、その愛くるしい姿が無い。ギョエっ!と思った自分はすぐさま辺りを探したのだが、見つからない。

沢蟹には脱走癖があり、無意識のうちに、高いところへよじ登る本能があるらしい。ここ最近はずっと大人しくしていたかにくんであるが、本能がぶり返してきたのか、水槽をよじ登り、出て行ってしまったのである。

自分は息を止めて、耳をすました。部屋の隅から、ワサ、ワサ、と小さな音が聞こえる。見ると、床に置いていたタオルが少し動いたような気がした。発見。かぴかぴに乾燥したかにくんが、タオルの下にいた。もう!と言って自分はかにくんを掴んだのだが、かにくんはハサミでタオルを掴んだまま離そうとしない。仕方が無いからタオルごと水槽に放り込めば、パッとハサミを離してそそくさと動き回り、土管の下に潜り込んだ。落ち葉を入れてやったが、見向きもせず、かにくんは土管の下で不貞腐れているようだった。まったく、しょうがない奴である。

自分も、逃げ出したいときはある。今、目の前に山積みにされたものを全て燃やして、裸で奇声を上げながら山奥へ逃げるのだ。あらゆる鎖から解放されて、さぞ楽しかろう。しかし、おそらくすぐに寂しくなるだろうし、何よりも風邪を引くに違いない。そのとき、元の居場所へ帰ることが出来なかったら…、と思うと、ゾッとする。まるで弱気な主人は、珈琲を飲み飲み、やっぱ家が落ち着くヨ、なんて言いながら、安心している。だから、かにくん。きみも、ここにいれば良いじゃないか。なあ、共に破滅しようや。

何もいりません。舞台に来てください。