溺死

沢蟹は相変わらず臆病で、しかし、ようやく餌を食べてくれるようになった。魚肉ソーセージを一欠片、割り箸でつまんでホイとあげると、カタワのハサミで掴んでくれる。掴んだまま微動だにしないので、蟹くん、食べなさいモグモグしなさい、蟹くんモグモグ、と声を掛けるものの、びくりとも動かない。魚肉ソーセージを挟んだハサミを天空に掲げて、ゲットだぜ!みたいなポーズで停止している姿は、阿呆のようである。そうして無理やり指で突っついて、口の当たりにハサミを誘導すると、モグモグ…と少しずつ食べる。後は岩陰に隠れて、こちらをこっそりと見ている。

うちの子は、頭が悪いのだろうか。あぁ、所詮は沢蟹であるのに、子、などと言ってしまった。自分はとにかく溺れやすい。その都度、夢中になるもので頭が一杯になってしまう。昔、亀を飼っていたときは亀のことで頭が一杯だった。また、仏像のような顔をした女性に恋をしたときは、仏像のことで頭が一杯になってしまった。今は、亀も仏像も、勿論好きではあるが、かつて程の興味は無い。溺れやすく、飽きやすい人間なのである。そうして好きなものに溺れているうちに、死んでしまうのか。果たしてそれは、幸せと呼べるのだろうか。

蟹よ、いつかはきみとも別れる日がやってくるだろう。それは避けられぬことだと思う。未来を思うと悲しくもなるが、今こうしてきみといられることを、私は幸せに思う。互いに破滅するまで、共に暮らそう。

何もいりません。舞台に来てください。