笑いと恋

以前とある知人に、お笑いマニアの独身女性は恋愛において困難の道を辿る、という話をされたことがある。それは、なかなかに興味深い話であった。

つまり、お笑いにハマると、自然と笑いに対する思いが強くなる。やがてマニアになると、おもろい奴はマジリスペクト、All need is laugh(笑いこそすべて)、といった考えに至る。そのため、「面白いかどうか」が日常における他人を判断する重要項目となり、更には、その判断基準が世間一般のレベルよりも厳しくなるのだという。となると、ひとつの問題が起きる。それは、おもんない奴はマジリストカット、No laugh is fuck(笑えねえのはクソッタレ)。つまり、世の男性、たとえばクラスの男子や職場の男たちがふざけているのを見ても、ちっとも面白く感じない、というのだ。勿論、彼らが芸人と比べて面白くないのは当たり前のことであるし、世の男性の笑いのレベルなどノミ以下であるのだが、お笑いマニアの女性からすると、おもんない男 is fuckin' shit 、であるため、周りの男性陣のつまらなさに辟易してしまう。

たとえばデートの際に男が「こないだ、めっちゃ面白いことがあってさ~」と話し出すと、お、その入り大丈夫か?と思ってしまう。あぁ、フリが弱いな、そこの描写なくした方がオチがもっと効いてくるよ、といったことばかりが気になる。店員のちょっとした言い間違いに「ちょっと、今のツボなんだけど」と腹を抱える男のセンスに、そんなおもろかったか?と疑ってしまう。そのくせ男が、「あんなの漫才じゃないよね。漫才っていうのはさあ…」などと言い出したら、大変である。男の胸ぐら掴んで、「こら。あのなあ、漫才いうのは元々は祝いの慶事の三河萬歳から来ててやなぁ!明治に流行った浪曲、音曲、芝居、全部混ぜながら戦前に出来上がったのが今の漫才に繋がるんや。お前、漫才分かってんのか?砂川捨丸知ってんのか?」もはや、デートどころでは無い。おもんない男と一緒にいる時間が苦痛となり、自然と笑顔も消えてしまう。

芸人と世の男性を比べるからいけないのだが、笑いというものは日常的かつ普遍的なものであるゆえ、仕方無いのかもしれぬ。音楽のライヴにハマる女性ならば、たとえ恋人が音痴であっても何も思わない。だが、お笑いの場合は、いけない。恋人がおもんない男だと判明すると、途端に萎えてしまう。そして悲しいことに、世の中には、おもんない男が腐るほど存在している。

では、芸人と恋愛をすれば良いではないかと思うのだが、どうやらマニアになればなるほど、芸人に対して恋愛感情を持てないらしい(中にはカキタレという名の、芸人を性の対象として見るだけのスケベな女たちも存在するという。自分は未だかつて出会ったことは無い)。それに、たとえ芸人と恋愛をしたとしても、「面白い」以外に良いことなどひとつも無い。なぜなら彼らは揃いも揃って、虚言・貧乏・性病・DV・浮気症・自己中・弱虫・屑・変態ばかりで、その恋の末路は破滅の共倒れしか無い。

結果、お笑いマニアの独身女性は恋愛において困難の道を極めるのだという。

勿論、素敵な恋人とラブしつつ、お笑いが好きな女性もいる。しかし、もしも現在独身恋人募集中であるならば、決して相手に面白さなど求めてはいけない。あくまでも、収入や、容姿や、優しさや、強さ、などを判断基準として、男を選ぶことを勧める。面白くなくても、イイ奴は、沢山いる。そして気の合う恋人が出来たならば、仲良く二人でライヴに来て、共に笑えば良いと思う。

何もいりません。舞台に来てください。