この、ひねくれ上がってしまった黒い諸々は、身体に染み付いて、なかなか剥がすことが出来ぬ。一体どこから来たのと言われれば、その源流は、やはり家庭の中にあるような気がする。生まれ育った家庭環境によって、いつの間にか形成されたものだろう。

箸の持ち方がおかしな人がいる。自分も子供の頃は、交差持ち、というのだろうか、間違った持ち方をしていて、親に注意された記憶もあるのだが、特に矯正はされなかった。子供の自分も、箸なんぞ食べ物を掴み取れさえすれば良いのだから、別にどうってことは無い、と考えていた。ところが、高校生の頃だったか、ある日ふと、このままではいけない、と思った。今ここで何とかしなければ、もう、どうにもならぬのではないか、と焦り、それから無性に怖くなった自分は必死で正しい箸の握りを修練して、改善させたのである。

箸ならば、そこまで気にすることでも無いかもしれぬが、これがたとえば、コミュニケーション能力や、嗜好傾向、精神力、生活力、となると、話は別である。大人になってから、ようやく気付いて、ヤバ、と焦ったときには、黒い諸々は硬い垢となって、ごしごし擦っても消えずに残る。

父は金に細かく厳しい人だった。私と姉は小学生のときに、父からそれぞれノートを渡されて、言われるがままに定規で線を引き、出金、入金、品目、残高、と書かされた。これからは、買い物をした際はこのノートに随時記入すること、毎月きちんと帳簿を付けることが出来れば、月末に500円の小遣いを渡す、という約束であった。父によく似たキッチリ者の姉と違って涎まみれの私は、金にはすこぶる無頓着で、上手く帳簿を付けることが出来なかった。どう考えても20円足りないとか、何故か60円多いとか、何を買ったか思い出せない、といったことが続いた。小遣い欲しさと、父や姉からのプレッシャーも相まって、いつの間にか私は誤魔化すことを覚えた。月末が近付くと、お菓子30円ジュース80円などと適当に書いて、最終残金と合うようにしとけば問題無いやろ、とズルをするようになった。勿論、父にはそんなことお見通しで、それ以来、父が私に小遣いを渡すことは無かった(甘やかしの祖母がいつでも金はくれた)。

今でも、自分の店の帳簿を付けるのが億劫で仕方無い。普通は毎日のようにやるところを、半年に一度くらいのペースで、大量のレシートや売上表をかき集めて、ひいひい言いながら帳簿を付けている。その度に子供の頃を思い出す。そう簡単に、垢は取れぬのだ。

何もいりません。舞台に来てください。