脳とnote

フランという名のチョコレートを買って食べた。素晴らしい美味さの菓子である。だが、どうにも名前がいけない。フラン、というのは、腐乱、をイメージしてしまって、美味しいのだけれど食べるたびにいちいち腐った死体が頭に浮かんでくる。

「腐乱死体」という言葉は「フランケンシュタイン」と似ている。日本語と英語、異なる言語にも関わらず、偶然にも、意味合いさえどこかマッチしている。これは果たして偶然なのか。言葉の意味で無く、英語であろうと日本語であろうと言葉自体が持つイメージ、雰囲気、色合いが存在していて、それらが宇宙の真ん中で交わっているような、気がする。

「道路」と「ロード」はどちらも道を意味する。「癌」と「ガン(銃)」はどちらも人が死ぬ、怖いもの。さらには、「雀鬼」と「ジャンキー」、「斬る」と「キル(殺す)」、「雷光」と「ライト」、どれも雰囲気と意味合いが似ている。「部落」と「ブラック」。部落を色で例えると、やはり白では無く黒である。「戦争」と「チェーンソー」はどうだろう。どちらも血みどろの感じがする。「暗い」ので「クライ(泣く)」。「好き」だから「キス」。「アイ(ぼく)」の「愛」。「ワイフ」を「愛撫」。「腋臭(わきが)」と「ヴァギナ」は、どちらも臭くて、「オート(自動)」で「嘔吐」。

あかん、ただの駄洒落芸になってきた。ともかく自分は普段そんなことばかり考えている。「暇人」だから「イマジン」ですな。

何もいりません。舞台に来てください。