自分は過去のライヴで演った漫才のネタに関しては、抜群の記憶力がある。勿論、細部は抜け落ちているだろうし、記憶違いもあるだろう。けれども、高校一年のときの初舞台から今まで、自身が どんな漫才をしてきたか、思い出すことは容易で、そのときのライヴの雰囲気や、他の出演者、なども大抵覚えている。

反面、日常では他人の顔をなかなか覚えられず、困っている。そのため誰かと偶然会ったときに、この人は誰だっただろうか、確かこの人は、と頭の記憶をねるねると回転させるのだけれど、それでも出て来ない、結果、下手糞な愛想笑いで、や、どうも、などと悟られないように誤魔化して、その場を何とかやり過ごすということが多々ある。

店をしていると様々な人がやって来るが、正直言うと印象に残らない人も多く、二度三度と来ているのにも関わらず、自分は初対面の如く接客してしまうことがある。しばらく会話する内に思い出すこともあるが、やはりその人が帰った後には、もう記憶の中から抜け落ちていて、はて、どのような顔だったか、髪型は、服装は、まるで思い出せない。

小学校のクラスメイトの名前はほとんど言えるが(自分の小学校は1年から6年まで一クラスで、男18女19の計37人ほどしかいなかった)、中学高校の同級生の顔と名前(こちらは計200人ほど)は、その大半を忘れてしまった。一度同窓会の司会を頼まれ、相方と行った際に同級生が大勢いたが、自分は2、3人しか分からなかった。相方が皆と和やかに再会を喜ぶ中、自分は完全なる他人行儀を貫いて、司会に徹した。そのため、あまり声を掛けられることも無く、穏便に済んだ。

以前梅田を歩いているときに突然、シマナカさんお久しぶりです!と声を掛けられて、反射的に自分は、や、久しぶりです、と言ってしまった。小太りの男であった。誰。と思ったが会話は続いた。「うわぁ、シマナカさんや、やば、何年ぶりやろ、お元気ですか」「あぁ、元気で、まぁやってますよ」「あんま変わんないすね」「そちらも、お変わりなく…」「ちょっとぉ!なんで敬語なんすか」「いやぁ、ゴメンゴメン」「シマナカさんちょっと痩せたんちゃいます?」「そうかもね。あの頃よりかはね。きみはちょっと太ったね」「いやいやあの頃よりだいぶ痩せましたよ!」「言われてみればそうやね」「そういえば、ぼく結婚したんすよ」「そうなんや。それはおめでとう」「シマナカさんは?」「いやあ、おれは、全然。このままやと生涯独身かも」「ぼく誰か覚えてます?」

バレた。自分は完全にあたふたした。誰だこいつは。こんな甲高い声で小太りの若い男(それでも痩せたらしいので本来はもっと太っていた奴)、覚えているわけが無いだろう。お前は誰だ、お前は誰。額を冷や汗が流れる中、自分は、「覚えてるに決まってるやろ。ちょっと急いでるねんごめんまた!」と言って早歩きでその場を去った。振り向くこともせず、逃げるように歩く自分の姿を、相手はどんな表情で見ていたのだろうか。あぁ、そして結局あの男が誰だったのか、今もなお、まったく分からない。

ただ、梅田で会ったその男の、顔と声と姿形は、なぜかはっきりとインプットされてしまっているようで、あの小太りの、青ネルシャツを着た、茶髪色白の、細目の、あの甲高い声を、今も覚えている。記憶とは不思議なものである。

何もいりません。舞台に来てください。