ガス坊

ガス坊は甘えん坊で、誰にでも懐いた。その母性本能をくすぐる可愛さと愛嬌を、嫌う人はいなかった。くりくりの瞳で見つめられると、どうしたんだいガス坊、と皆が相手した。そうして頭を撫でられるガス坊もまた、ご満悦の様子であった。

しかし彼はガスである。それも、人体には極めて有害なガス。吸引すれば途端に毒が全身に回り、呼吸困難、心臓麻痺、左心房圧迫、脳細胞破裂、血液逆流、網膜分裂、三半規管轟転、末端神経腐食、などを引き起こして、今まで何人もの大人たちが卒倒した。自分を可愛がったばかりに苦しみ悶える大人たちを、ガス坊は申し訳無く思った。

ある日、一人の老婆がガス坊を抱いた。おや、可愛らしい子、どうしたんだい、と顔を皺だらけにして笑う老婆を、ガス坊は甘えた目で見つめた。老婆は昨年孫を失くしたばかりで、今は亡き孫の面影をガス坊に重ね合わせていたのである。まるであの子にそっくりだ、この口元なんて特に…。息を吸った老婆はひどく咳き込み、そのまま倒れて死んだ。ガス坊は、悲しい、と思った。

かといって、ガス坊が自立するのは土台無理な話であった。もしも自立心を高めて気合を入れると、瞬く間に大爆発を起こして、木っ端微塵となってしまう。感情の高ぶりすら厳禁のガス坊は、怒りや悲しみを表に出すことは無かった。恋もまた、同じことである。ともかく、熱情が引火を起こして爆発に至ることを、ガス坊は知っていた。決して燃えてはいけない。他人に甘えるしか生きる道の無いガス坊は、今日も可愛らしい顔でひたすら大人たちを見つめるのだった。

何もいりません。舞台に来てください。