無知の爺

近頃の流行やニュースに疎い自分は、人との会話でも随所に無知をさらけ出してしまう。

無知とは、恥ずかしいことなのだろうか。物事を知らぬのなら、知らぬと素直に言えば良い。そして教えて貰えば良いのである。それなのに、つい無意識に知ったかぶりをしてしまう。あれは、人の弱さなのかもしれない。

けれども考えてみれば、全ての物事を知る人など世の中には存在しないのである。自分の場合、流行りの歌やタレント、ファッション、スポーツ、ゲーム、アプリ、政治、地理、などについては驚くほどの無知である。では何も知らない呆け者なのかというと、そんなことは無い。自分の方がきっと世間の人たちよりも詳しい事柄は沢山ある。たとえば、「ぷよぷよ」のGTRの組み方、唐揚げの美味しい揚げ方、ウォンバットの生態、ダイマル・ラケットの漫才ネタ、忌野清志郎の楽曲、については世間の人たちよりもよく知っている。つまり、何かを知る人は何かを知らぬし、何かを知らぬ人でも知っていることはあるのだ(何言うてるの)。つまり、己の無知を恥じる必要など無い。

それよりも恥ずかしいことは、爺婆などに見られる「そんなんひとつも分かりまへんわ」といった、何故か偉そうな無知自慢である。若い人にはついていけまへん、と白旗を上げながら、どこかご満悦な顔、まるで知らぬことが優位に立っているかのような雰囲気である。挙げ句、無知を武器にして物事を否定する輩までいる。あれは、良くない。好奇心の放棄とでも言おうか。孫のゲームソフトに興味津々のお婆ちゃんが如何に可愛いか。己の無知を偉ぶると、くだらない爺婆の仲間入りと思った方が良い。

さて、先日、若い人と話しているときに会話の中でふと「その子はきんぷりとかが好きで…」と言われた自分は、脳内で「きんぷり?」とクエスチョンマークが湧き上がった。きんぷりが何なのか、自分には分からなかったのである。おそらく何かの略語であるだろう。プリクラ的な遊びか、プリプリ的なバンド名か、テニプリ的な漫画か、もしくはそのどちらでも無い、たとえば、金目鯛のぷりぷり焼き、といった料理の名前かもしれない。瞬時に知ったかぶりで「あぁ、きんぷりね。あっさりしてて美味いよね」と言いそうになったが、そのときの自分の顔は明らかにクエスチョンマークの面持ちをしていたのだろう、相手は即座に見抜き、気遣い半分で「ジャニーズの、キングアンドプリンス…」と呟いた。自分は真顔で、「あぁ。ジャニーズの、男前の集団のやつ」と相槌を打った。

本当は「キングアンドプリンスて。何やその阿呆みたいな名前。すでにグループ内で格差ありそうやな。王と王子やから、親子コンビか。どっちゃにしてもダサい名前や。どうせサラサラヘアーやろ。知るか!」と言いたかった。

何もいりません。舞台に来てください。